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旅するPowerBook

9 ; 進化形としての3400c

 3400cは持ちにくい。とてもじゃないが、気軽に持ち運ぼうという気にさせないマシンである。CD-ROMドライヴを装着して約3.3kgになる重さももちろんだが、ウーファースピーカーを仕組んだために膨らんでいる上蓋が、片手で持つことを不安にさせる。鷲掴みにできないのである。もう少し手が大きければいいのに。映画『インデペンデンス・デイ』では、地球侵略という一刻の猶予も許されない事態に、ジェフ・ゴールドブラム扮する主人公が3400c片手に獅子奮迅の活躍をする。よく滑らせて落とさないもの、しかもまったく重そうではないということに、私は感心する。バッテリーをいつ充電しているのか、予備のバッテリーを常に携帯しているのかという疑問以上に、アメリカ人の肉体なら3400cも重くないのだろう、大きな手と強い握力で、がっしり掴めるのだろうと、納得せざるを得ない。……それでも、私だってずいぶんと3400cを持って外出してきた。重いし、買う時に高かったしで、落とすのが嫌さに、初めは机の上に置いたままにしようと思っていた。いわゆるデスクトップマシンでいいと考えていた。しかし、PowerBookである以上、携帯用のバッテリーが使えるなら持ち運ばなければもったいない。落として壊すのももったいないが、持ち出さない方がよほどもったいない。
 先に、「190csの生と死」を書いた。190csの突然死と、その直後にあっさり手放したことは、依然として心にひっかかっている。いまさら買い戻しても仕方がない、それ以上の性能を持つマシンを持っているじゃないかといいきかせても、忸怩たる思いは消えない。190cは、100番台のPowerBookだが、外見は上位機種5300シリーズそのままである。初めてPowerPCを搭載したPowerBookとして世に出た5300。その性能を落とし、非PowerPCマシンにして値段を安くしたのが190。モノクロの190と、カラーの190cs、この2種類が出た。対する5300は4種類ある。モノクロが5300。後はカラーで、表示能力の低いものから、5300cs、5300c、そして処理速度も加えて最上位の5300ce。時折、仕事先で5300csを使うことがあるが、まあ、すでに手元にあるなら持っていてさしつかえないというほどの感想である。5300ceを使ったことがあるならぜひほしいと思うかも知れないが、これは経験がないので判断のしようがない。思い入れのある190csの方がまだしもと思うのである。ただ、5300のジャンク品、数千円の代物だが、これをしばしば見かけることがあり、そのたびに、直せるものなら直したい、直せないまでも手元に置いて面倒を見たいという気になる。だから、5300を見捨てているわけではない----。数台まとめて買いこんで、1台くらい使えるマシンとして整備したいと考えているのは事実である。機会と決意があれば、明日にだって、それをするかもしれない。

3400の函
ビジネスシーンを意識したのか?
いや、アーバンライフだという説も。3400cの函

 そして、3400c。このマシンは、190および5300シリーズと非常によく似ている。それもそのはず、3400は190および5300シリーズモデルの奥行きを、キーボード奥に配されたスピーカー分、伸ばしたものなのだ。だから悪くいえば、というより客観的に見て、デザインに独自性はないということになる。後に、筐体は3400cそのままに、初代のPowerBookG3が発売されることになる。PowerBookのG3マシンといえば、今日見られるような、曲線と生かした平たいデザインのものが定着したために、振り返ってみれば、初代のPowerBookG3の独自性はますます薄くなった。G3マシンの影が薄くなるくたいだから、3400cの影など、もう消えかかっているも同然かもしれない
 これははっきりいえるが、3400cに人気はない。PowerBook関係のサイトを見ればいい。150に「苺丸同好会」があり、Duoシリーズに「Duo-Zone」があり、2400cに「極私的PB2400c頁」があり、500シリーズに「PHENiX」があり、G3シリーズに「PowerBook G3 Seriesを使いこなそう」がありという具合に、さまざまなマシンを愛するサイトがある。ところが、私の知る限り、3400cにはこれがないのである。なければ自分で作ればいいし、なるほどそうしようかという気にもなる。事実、私は改造系サイトに反発して、「PB3400cを普通に使う会」を、期間限定で作ることを決意した。しかし、3400cのための会の存在が耳に入ってこないという現実は、3400cの不人気の証だろう。さらに、同時に発売された下位機種の1400c、中位機種の2400cに、それぞれG3カードが開発されたというのに、3400cのためのそれは、ついにできずじまいだった。同じ型のものが初代PBG3になったのだからいらないということだろう。しかし、G3カードが作られなかったということは、ある意味で、見切りをつけられたということになる。長く使い続けようという人が少なかったのだ。しかし、発売時の値段は3400c/200が約600,000円、3400c/240が約700,000円と、非常に高価。これを長く使わなくてどうするという思いに、持ち主ならかられて当然であろう。しかし、不人気。解せない。私は発売当初の値段で買ったわけではなく、約半分の値段で買ったのだが、それでも3400c/200の持ち主として、解せないのである。解せない本人が、メインマシンをG3/333にしているのだから、何をかいわんや。
3400cキー表面  だが、G3にこだわることはない、3400cのオリジナルを、そのまま使えばいいではないかという考えがある。G3以前のマシンとしては最高の処理速度を持っている。おまけにCD-ROMドライヴとフロッピードライヴを持ち、スピーカーは4個あり、PCカードは2枚装着でき、内蔵モデムおよびEthernet用のポートがある。ディプレイは12.1インチだが、PowerBookだからかまわない。どうしても広い画面が欲しいなら、映像を大画面の外部モニタに出力すればいい。何の不足をいうことがある。3400cは立派なセカンドマシンである。そら、セカンドマシンじゃないか----。そんな声には、応えなくていいだろう。G3/500だって、新型マシンが出れば、いずれはセカンドマシンになる運命だ。G3マシンがないため、3400cには、ある時点のPowerBookの形がとどめられている。そんな言い方だってできるのだ。5300および190から進化して3400になり、次世代のG3へ橋渡しをする。3400cが担っていたのは、そんな役割だった。3400cは、いろいろなものが進化する途上で現われた、進化形のマシンである。3400cには、190と5300の要素がそっくりそのまま入っている。3400cを持っていれば、190と5300を持つ必要は、必ずしも、ない。次世代のOS、X(テン)はインストールできないが……。別にかまわないのではないだろうか。
 書き終えてから気づいたことがある。3400cのためのG3カードが作られなかったと書いた。それが不人気の証というようなことも書いた。しかし、もしも3400cのためのG3カードが作られて、ロジックボードの構造も変更がきき、カードを装着したとする。するとその瞬間、マシンは3400cではなく、G3になってしまうのである。それならすでに、3400cそのままの外見の、初代PowerBookG3が存在する。まったく、カードなど作らなくても、3400cの顔をしたG3マシンはすでにこの世にあったのだ。だから、私が、仮名「3400cを骨の髄まで愛する会」を作ったとしても、何とかしてG3マシンにするなどという改造は、ありえない。それでは何をするのか。ノーマルなままで3400cを使い続けること。それがいちばんまっとうなあり方のような気がしている。
 ……ふと思い出したのだが、私は3400cで本を一冊書き上げている。その本の名は、大きな声ではいえない。私はそれを、ゴーストライターとして書いたのであったから。ある映画俳優の自伝。たった二度のインタビューで書いた、三百枚弱の原稿。それを私は3400cを使い、約十日で書いた。書き上げて数日、私は極度の筋肉痛で体を動かすこともままならなかった。すべてオリジナルの原稿を、一日約三十枚書き続けたのである。よくそんなことができたと思う反面、そこまでした原稿を私の本ですと口外できないのは、いささか寂しい。しかし、それをわかっていて引き受けた仕事である。今さら何をいう。150と190csで『横尾忠則・365日の伝説』と『伊福部昭・音楽家の誕生』を書いた。しかし、その次のメインマシンである3400cで、私は一冊の本も書いていないと思っていた。しかし、そうではなかった。私の著書ではないが、確かに私が書いた本、映画俳優Tの自伝。それが3400cの、まとまった成果。その事実があればいい。書いたという記憶が私の中に残っていればそれでいい。




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