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旅するPowerBook

8 ; 2400c、憧憬と諦観、そして出発

2400を閉じた画  憧れながら、一生涯、持つことなしに終わりそうなマシンがある。
 PowerBook2400c。PowerBookファン、Macファンならば、すぐにわかるだろう。1991年に始まったPowerBookの歴史において、2400cは唯一のサブノートマシンとされる。発売は、1997年。
 サブノート。重量は2kg以下にして手軽に持ち運べ、どんな環境に移動させても変わらぬ作業が行えるマシン。もちろん、データの送受信ができることは必須の条件だ。PowerBook2400cは、これを満たすマックだった。渋く黒光りする小振りの外観は、持って歩きたい、持ち運びたいという気持ちをかき立てる。2400cについては、雑誌の特集が多く組まれただけでなく、その愛好者によって『PowerBook 2400c Perfect Guide』(98・ソフトバンク刊)という本まで作られた。微に入り細に入って分析され、あれもできるこれもできると使い方が検討された2400c。アップル社以外のメーカーからは処理速度を増すG3カードが発売されて、いっそうの性能アップがはかられた。2400に関する情報を公開したサイトは様々に見られ、中古市場でもいまだに人気だ。当然、現役で使っている人は少なくない。マシン冥利に尽きるのではないか。
 しかし、2kg? 重いじゃないか。そんな声が上がることは容易に想像できる。Windows系のノートパソコンにくらべ、PowerBookは重いのである。重量を軽くすることは、機能を削減することであり、性能を落とすこと。ノートパソコンといえども、デスクトップマシンに遜色ないものにしたい。アップル社のそんな姿勢が、PowerBookの重量を重いままにさせてきた、といわれる。
 PowerBookシリーズに先駆けて発売されたMacintosh Portable(ポータブル)は、約7kg超という重さ。電池の駆動時間が10時間前後というのはありがたいが、7kgという重さのものを持ち運ぶのは、自動車に乗せる以外は無理である。腰痛になって日常生活に支障をきたしても、アップル社が面倒を見てくれるわけではない。買わないにこしたことはないのだ。このPortableに続いて発表されたのが、PowerBookシリーズである。最初に売り出されたのは、100、140、170という3つのモノクロ・マシン。100はフロッピーディスクドライブを削って、2・3kg。140と170はそれをせず、3・1kgになった。フロッピードライブ内蔵のPowerBookは、カラー化されるようになっても、3kg前後が標準の重量となる。PowerBookにはDuo(デュオ)というシリーズもあって、こちらはフロッピードライブを始め、モデムやプリンタ、モニタ、音声入出力など、可能なかぎりのポート機能を本体から削除。その代わり、別売りのDuo Dockと合体すればデスクトップ同様の拡張性が得られた。重量は、シリーズを通して2kg前後を維持し、確かな人気があったのだが、惜しまれつつ姿を消した。早すぎたマシンともいわれたのである。




2400を開いた画  実をいえば、2400cは欧米では売れなかった。2400cを愛したのは、結果的に日本人だけだった。トランジスタラジオを見るまでもなく、ウォークマンを見るまでもなく、日本人は小さくて高性能の機械が好きである。だから、2400cも愛されたのか?
 おまけにこれを設計したのは、日本IBMの技術者たちである。IBMには、ThinkPad(シンクパッド)というヒットシリーズがある。何を隠そう。私も人から譲り受けて一台持っており、重宝している。ThinkPad220。1993年に発売されたもので、A5サイズのモノクロマシン。重量は何と1kg。ディスプレイ・サイズが小さく、電池の駆動時間が短いのが難だが、私のように原稿を書くだけなら大きな問題はない。PowerBook2400には、このThinkPad開発で培われた技術が注ぎこまれている。そして生まれた、PowerBook唯一のサブノート、2400。これもまた、アメリカのアップル社だけではできなかった、日本人ならではの芸当なのか。日本人ユーザーは、そこに共感を覚えたのか?
 違うと思う。大方は当たっているが、根本で違っているはずだ。
 「ゼロックス社パロ・アルト研究所の学習研究グループは、知識の伝達と操作のあらゆる側面について研究している。われわれは、あらゆる世代の人たちが使えるダイナミックなメディアを設計、製作、使用している。数年まえ、われわれの夢が、ノートサイズの個人用ダイナミック・メディア(ダイナブック)、という設計思想として現実のものになった。これはだれにでも所有でき、ユーザーの情報関係の要求を、事実上すべて満たす能力をもっている。この目標のためにコミュニケーション・システム----スモールトークを設計、製作し、『暫定版ダイナブック』と呼んでいる小型コンピュータに載せた」
 パーソナルコンピュータの存在、その意義について考え、多くの人に影響を与えるアラン・ケイの論文『パーソナル・ダイナミック・メディア』(77)の引用である。ケイの論文を集めた『アラン・ケイ』(92・アスキー出版局)に収められている。刊行から長い歳月が経っているが、いまだに絶版にならず、本屋に並んでいる。また、論文の内容自体も古くならない。ノートサイズの大きさの、誰にも手軽に持ち運びできる情報操作機器、「ダイナブック」のあるべき形が、ここで述べられている。決して、日本の一企業Tなどが、商品名として独占していい呼称ではなかった。ダイナブックは商品名ではなく、理想を象徴する言葉である。そのダイナブックの、アップル社なりの回答、その典型が、2400cにあったと見る。私だけではなく多くの人がそれを感じたからこそ、PowerBook2400cは熱烈な好意を持って迎えられたと思う。
 もちろん、理想と現実は違う。ダイナブックの理想を2400がすべて満たしているとはいえないだろうし、最新のPowerBookG3シリーズでも、もちろんiBookでも、理想がかなえられているとはいえない。ThinkPadやVAIO(バイオ)などのWindowsマシンでも、それは同様である。何がどうと列挙する気はないが、アラン・ケイの理想、ダイナブックとしてあるべき姿は、まだ、ずっと先にある。マックだウィンドウズだと、OSの優劣が論じられている間は、真のダイナブックは誕生していないと見なければならない。原因不明のシステムエラーが起きるとか、各種ソフトの設定にマニュアルが必要だなだどといわれている間は、あらゆる世代の人が使えるものにはならないし、ユーザーの要求をすべて満たすものとはいえない。子供が何の気なしに使えるもの。本能的に、直感をもって使えるもの。それがケイのいう、ダイナブックであるはずだ。
 2400cも、まだその域には達していない。しかし、それまでのPowerBookに較べれば、ストレスなく外に持ち出したいという気にはさせてくれる。つまり、所有者の気持ちを高め、行動を促し、創造性をかきたててくれる。私なりにいえば、旅に向わせてくれるもの。それが2400cという、PowerBookなのだ。しかし、私もPowerBookG3を所有し、より高性能のG4マシンの登場も噂される今となっては、改めて2400cを買う必然性が見当たらないのである。いっそ古いものと割り切って、ThinkPad220を使い切る方に、まだ気持ちが向いてしまう。紙幣で焚き火をするほどの余裕があれば、2400cを買ってもいいのだが。そんな状態は、おそらく永遠にやってこないだろう。2400cへの憧れは、胸の内に封印するしかないようだ。




 ……2001年2月25日、何の関係もないが2.26事件の前日、2400cが私のもとにやってきた。180MHzのマシンである。そして、ジャンクである。きれいな函に収められ、パームレストには革が張られた、いわゆる美品である。しかし、起動しない。ハードディスクも入っていない。
 さらに同年2月3月1日、雛祭りの2日前、もう1台の2400cが私のもとにやってきた。180MHzのマシンである。ネームプレートは、ただ「2400c」とのみある。初期の出荷品である。こちらも函つき。キーの摩耗はほとんどない。これまた美品、そして、完動品である。
 もはや、2400cに対しては、憧憬でも諦観でもなく、これを使わなければならぬという、使命感を抱いている。無論、そんな大げさなものではない。一方で3400cを普通に使っているように、この2400cも、普通に使えばいい。しかし、2400cに関しては、少し違った使い方、考え方をしたいと思っている。それをどうするかは思案中。たった今、この一行を書いている瞬間は、思案中である。答えはいずれ出るだろう。
(3月2日以降へつづく)




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