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旅するPowerBook

6 ; 190csの生と死、そして生と死……

 人が生き物なら、機械もまた生き物である。人は死ねば物になる。機械もまた、死ねば物になる。機械の死に直面した方は記憶があるはずだ。機械などただの物と思っていても、動ける間の機械と、動けなくなってしまった機械では、それ自体が発する空気は、はっきり異なる。廃車置き場に行けばわかる。そこにあるのはただの鉄くず。人も同じだ。植物人間になろうと脳死に至ろうと、まだ息ができる、息をしている間と、息すらできなくなってからでは、周囲の空気はまったく違う。
 私のPowerBook190csは、いきなり死んだ。文字通りのsudden death。朝、目を覚まして190csを起動させようと手を伸ばした。何かが違う。いや、何かどころではなく、はっきりと、これは死んでいると直感した。190csは、ただそこにあるだけなのだ。ハードディスクやシステムが壊れたことはあった。しかしその時は、死んでいるとは思わない。ただ壊れている、人間なら病気になったが治療すれば元に戻る、そんな感じにとどまった。実際、HDを交換し、OSを再インストールすることで、190csは元に戻ったのである。
 しかし、今度ばかりは致命的、という思いが先に来た。細かく調べたわけではない。起き抜けの直感、ただそれだけ。人でいうなら、温もりがない。触れた直後の反応がない。血の通わない、ただの虚ろな函。何とかしようとした。しかし、駄目。外付けのHDやCD-ROMドライブで起動させようとしても、内蔵HDを換えても、内蔵電池を取り換えても、うんともすんともいわない。PowerBookユーザーの間でよく使われる言葉、昇天。その事態が、ついに私の身にもふりかかった。ロジックボードが使い物にならなくなったのである。わずか一年半前の話だ。1999年の春ごろのことである。
190の函
 私は190csを愛していた。もちろんPowerBookなら何でも愛しているのだが、よく働いてくれた190csを、私は抽象的でなく、具体的に愛する必要があった。原稿を書くこと、それが私の、生きる糧を得る手段である。190csを使いこむ必要があったのだ。190csは実際、いかほどの金額を箇ぎ出してくれただろう。一流スポーツ選手にくらべれば、私の年収など彼らの月収にもならないが、それでも、190csは私を生かしてくれた。190csが発売されたのは、1995年の11月。発売直後の12月に購入したはずだから、およそ3年半、私のために働きづめであった。190csのおかげで、私はPowerBookを分解して、自分で修理するという体験をした。欠けたり割れたりしたパーツは、自分で入手して取り換えるという体験をした。半田ごてもテスターも、私は190csのために購入した。かつては、デスクトップマシンの内蔵電池すら自分で換えられず、持ちこみ修理を頼んだほどなのに。
 一方、190csの昇天直後、私は金銭不如意の状戴に陥ってしまった。1年半前の私は、PowerBookを含めて20台ほどのMacintoshを所有していた。仕方がない。家賃の支払いにも困る急場を乗りきるため、マックを売ろうと決めた。SE、Clasic、IIsiなどのデスクトップマシン、それに140や150や160といったPowerBookが手元から消えた。死んだ190csも、そのようにして売られていった。190cs本体に加え、携帯時に使うバッテリーや、修理のためにと買ってあった予備パーツを詰めこんだ大きな紙袋。これで計1万円の売り物であった。ばかなことをしたと、1年半後の今、私は思っている。2000年に入ってから、私は何度も、2000円ほどで売られている190csのロジックボードを目撃した。しかも何枚も。それも何回も、同じ店で見た。つまり、すぐに買う人がいないのだ。あの、死んでしまった190csを手元に置いておけば、2000円でロジックボードを交換して、よみがえらすことができたではないか。2、3枚買いこんで、いずれロジックボード不良になるであろう将来に備えることもできた。つまり今でも現役で、190csを使えたのである。それを、一時しのぎの金欲しさに、多くの金を注ぎこんだ190csを手放したということ。
 愛が足りなかった。電池交換にデスクトップマシンを店に持ちこんでいたころの私と、根本では変わっていなかった。何がPowerBookユーザーだ。アップル社のお仕着せを、いわれるままに着ているに過ぎないではないか。失ってみて初めてわかる。何に対してでもいい。あの時の、この時の、私の愛情は、本物だったのか? もちろん、数万円をはたけば、中古品の190csは買える。しかし、それはもう、あの、私を3年半生かしてくれた190csではない。PowerBookの3400cを持ち、G3の333を持つ私が、190csを今さら買う必要がどこにあるのか。趣味でなら買えても、PowerBookとのつきあいは、趣味にしたくないのである。悔やんでも悔やみきれない。

帰ってきた190
 2001年1月22日。新しい展開があった。何と、190csが私の手元に戻ってきたのである。サイトに載せる街の写真を撮ろうと、秋葉原へ出かけた。もちろん、出かけるからには、190csに出会えればいいという思いは、心の隅にある。しかし、ほとんど期待はしていなかった。どちらかといえば、数日前にみつけて買わなかった、Ethernetカードを増設されたIIsiのこと。歳が明けて以降、何度通ってもドアが閉められたままのソフトハウス。さらに、カラー表示の性能がいまひとつというので手に入れていない165cが、12,500円で売られている、それを分割で買おうかという企み。そうしたことが意識にあった。撮影中、190csのことはほとんど頭から消えていた。ゼロである。それよりも、最初に足を踏み入れた店で見た、3万数千円の5300eを、できれば買いたいなどという愚かな考えを抱えていた。さんざん秋葉原を歩き回り、めぼしい店を点検し終え、昼ご飯を食べる前に一応はという気持ちで立ち寄った店がある。ジャンクの棚を見て、デスクトップの棚を見て、PowerBookの棚を端から見ていって、さて、それが尽きる場所に、190csは、いた。8MBのメモリと500MBのハードディスクは、出荷時の状態である。値段は13,800円。安い。外観に傷はない。キーボード表面もほとんど摩滅していない。液晶の状態に問題がなければ買いたいと、店員に確認を頼んだ。起動させてみると、きれいである。システムは最低限のものしか入っておらず、SimpleTextで文章を売ってみることもかなわなかったが、これは掘り出し物だと思った。買うことにしてふとカウンターの張り紙を見ると、何とマックは30%引きとある。約1万円になる勘定だ。ますます買わねばならぬ。ついさっき、私はある店で、5300と190で使える16MBメモリを売っているのを見ていた。2,600円ほどだったと思う。マック30%引きと、ほぼ等しい値段だ。32MBのメモリがあれば、最大容量の40MBまで増設できるが、とりあえず16MBを足して24MBにしておけばいい。今さら190csでインターネットをしようとは思わない。文章が書ければいいのである。PCカードを使って、3400cやG3/333と、ネットワークが組めればいいのである。190csを売って以降、放っておかれたままのカードも、使い道ができるというもの。予備に置いてある1.2Gのハードディスクに入れ換えてもいい。そんなことを思いつつ、190csの入った紙袋に16MBメモリを押しこみ、家路についた。確かに、私は意気揚々としていた。
 家に帰るや、さっそくメモリを増設し、ハードディスクを初期化して、OS7.6をインストールした。7.6はつい数日前、Web上のフリーマーケットにおいて、3,000円で買ったものである。550cにインストールしようと思ったが、せっかく7.5が入っているのにと、何のためにも使わずにあったものだ。68Kマシンでは、高機能の上、最も安定した力を発揮してくれるという評判を聞いたことがある。7.5.5から8.0へと、私のOS経験は間を飛ばしていた。その未経験領域を埋める7.6を使うということも、長い間の望みであった。それが190csのおかげで実現するということ。どこをどう経めぐっていたのか。やっと戻ってきてくれた190csを、私はもう手放そうとは思わない。たとえこの190csが起動不能になったとしても、中身を入れ替えて、永遠に使い続けていこうと思う。筐体さえあれば、後は何とかなるのである。
 ----自戒として書いておく。190csを買った日の夜。G3を持って喫茶店に入った私は、店員の無礼な態度に怒って我を忘れ、注意がおろそかになった瞬間、G3の入った鞄を落下させてしまった。鞄はまっさかさまに、床へ転がり落ちたのである。かつての150の再現か。液晶画面が破壊されてしまったのではと蒼くなり、スリープさせてあったG3を起動させると、格段の不具合は発生していなかった。緩衝材を詰めこんだ、大きめの、内部に充分な空間をとった鞄に収めていた。そのおかげである。しかし、落下させたことは事実。冬の札幌で、凍結した路面に足をとられて、150が入った鞄を地面にトンとついた。さらに池袋の公衆電話で、150の入った肩かけ鞄の紐が取れて地面に落下した。その二度の経験に匹敵するか、それをしのぐ派手さで、G3の入った鞄は喫茶店の床に落ちたのである。しかし、何ごともなし。鞄のおかげというより、私はただ運がよかっただけかもしれない。G3を持って外出する時は、阿呆な人間の阿呆な態度に惑わされないことである。PowerBookの旅に、事故はつきもの。そもそも人間の旅だって、たとえそれが近所を歩くだけであれ、一歩外に出れば最悪の事態を覚悟して当然。家にいたってジェット機が突っこんでこないとは保証できないのが現実だ。死を防ぐための最大限の注意を、最大限の努力をもって払うこと。PowerBookに教えられることは、まことに多い。
 ……さらに、続きはあった。



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