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旅するPowerBook

1 ; 過去に身をゆだねて


 灰色で直線的な筐体は、無骨の極み? モノクロ表示しかできないディスプレイは時代遅れ? 少ないメモリと遅々たる処理速度は、実用に不適? そんなPowerBook100シリーズに愛しさを感じる私は、限定された用途に生きる、趣味的な人間だろうか?
 巷間、iMacおよびiBookは、かわいいということになっている。視覚的にも触角的にも、愛らしく親しみやすいデザインと評価される。その上に性能が優れ、価格も抑えられているのだからいうことなし。しかし、そう言い切っていいのだろうか。140や150や170や180といったPB100シリーズ、それも、あえていうなら非カラー表示の機種以上にかわいいMacintoshはないのだが。
 私は日々を、書くことで過ごしている。必要以上の画や音は必要ない。だから100シリーズでいい、とはいわない。確かに、Text-Edit+などの軽いテキストエディタには対応できるが、多機能なワープロソフトになると、指の速度に文字の表示が追いつかない。いきおい100シリーズは下書き専門となり、清書およびデータの受け渡しは、私の場合PowerBook G3/333で、ということになる。それなら初めからG3にまかせるのが能率的ではないか。理屈はそうでも、100シリーズには理屈を越えた思い入れがある。それが私にとっては、iMacやiBookにいわれがちな、視覚と触覚に訴える愛らしさなのだ。
 直径30mmのトラックボールを指先でころがす時の、エロチシズムに似た快感。思考が進み筆に力がこもり始めた時、固めのキーを叩くことの心地よさ。時代遅れのモノクロ表示は、大事な眼を痛めない。がっちりした筐体からは、それが確かにそこにあるという安心感がただよう。今にも転がりそうで、つかみどころのなさそうな半透明の筐体とはまったく違う。さらに、何でもできます式の幻想を抱かせないこと。100シリーズには形といい機能といい、書くことしかできませんが、書くことならおまかせください、きっと役に立って見せますという誠実さがある。iMacやiBookのように、曲線と曲面で構成され、カラフルだからかわいいとはいいたくない。無骨で時代遅れで非力だが、だからこそかわいいという逆説の魅力が、100シリーズ・非カラー表示機種にはある。
 68Kにはこだわらない。中身はG3でもG4でもいい。100シリーズを復活させられないだろうか。見た目も触り心地も完成していたではないか。亀の速度が劣っているからといって、これを兎に改造しようと思う人はいないだろう。亀は生物として、すでに完成している。だから100シリーズも……。例えばPB2400cに魅力を感じる人なら、この思いをわかってもらえるはず。どうしてMacは次から次へと姿形を変えるのか?
 かわいいという形容は、世間が与えるものではない。その評価を鵜呑みにしていいものでもない。あくまでも自分の正直な感性によって生じる、極私的なものである。念のために『広辞苑』第4版をひいてみた。第一義として、いたわしい、不憫だ、かわいそうだ、とある。第二義が、深い愛情を感じる、など。第三義が、小さくて美しい。すべての意味で、100シリーズの特徴を言い当てているようだ。

トラックボール

PowerBook100シリーズの象徴、トラックボール



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