ブコウスキーのいる部屋

スティーヴン・キングの指


「死をポケットに入れて」カバー

『死をポケットに入れて』日本版表紙カバー(河出書房新社刊)の部分。
ブコウスキーが向き合うマックはIIsiなのだが、これは……。詳細は下の文参照。





Charles Bukowski(チャールズ・ブコウスキー)はMacintoshを使っていた。1991年にマックを買ったということだが、それまでのタイプライターに代えて、小説や詩、日記……を、彼は書いた。いつか、ブコウスキーという人について書きたいと思いながら、とりあえず、これまでの文章を、そのまま掲載する。1999年の「書くことの冒険」、2000年の「そのキーを叩け!」。これが合体、融合し、大きな原稿へと発展することを願っている。




「書くことの冒険 二」

チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』(河出書房新社/中川五郎訳)

 ……年老いた作家がセーターを着て座り込み、コンピューターの画面を睨みつけながら、人生について書いている。わたしたちはどこまで立派になれるのか? そしてキリスト様よ、あなたは人が一生でどれぐらいの量の小便をするのか一度でも思い悩んだことがあるのだろうか? 人はどれぐらい食べて、どれぐらい糞をするのか? とんでもない量だ。おぞましい。我々は死んでとっととこの世から去っていくのにこしたことはない。我々が自分たちが大量に排泄するものであらゆるものを汚染しているのだ。華麗に踊る娘たちもくそくらえだ。彼女たちだって同じことをしている。


 〃酔いどれ詩人〃チャールズ・ブコウスキーは、その晩年、マッキントッシュを使って原稿を書いていた。機種は、デスクトップ型の、IIsi。アップル・コンピュータが発売する、マックと通称されるコンピュータには、多くの種類がある。その中で、IIsiにはさほど高い性能が与えられておらず、高い人気を得られなかった。製品としての寿命も短かった。マック関係の本には、使いこなすには覚悟がいるマシンなどと書かれている。癖の強さはなかなかのもの。ブコウスキーがIIsiを手に入れたのはどういう理由でかわからないが、いかにも持ち主らしい選択だったといえるかもしれない。
 冒頭に引用したのは、そのブコウスキーがマックで書いた日記の一節である。彼の死後、遺された日記が編集され、『死をポケットに入れて』の題名で出版された。始めに引用した日記の日付と時間は、一九九一年十月十五日午前零時五十五分。
 それにしても、ブコウスキーがマックを使っていたとは驚きだった。『町でいちばんの美女』や『詩人と女たち』などの小説、『モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』『ブコウスキー詩集』などの詩、さらには映画『バーフライ』のシナリオなどで日本でも知られるブコウスキーだが、九一年十月には七十一歳になっていたのである。日本人のみならず、アメリカ人であっても、この世代でコンピュータを使える人というのはまれだ。もちろん、アメリカ人にはタイプライターを使うという習慣があって、日本人よりも、キーを叩いて文字を書くということに慣れているとしても。
 ブコウスキーは機械好きだったのだろうか? だから、長年使っていたタイプライターを引退させて、機械好きの本能を満足させる、マックに手を出したのだろうか? 機械が好きであれば、それは年齢に関係なく、マックその他のコンピュータを使ってみたくなるだろう。しかし、他の日付の日記には、自分はまだマックに急所を握られているとか、触れてはいけない箇所に触れたために青い光がきらめいて原稿が消えてしまったとか、同居している猫がマックに小便をかけたため修理に出さなければならなくなった、などの記述がある。機械マニアであれば、原因を究明して、自分で直そうとするのでは? 『死をポケットに入れて』を読んでいる限り、〃酔いどれ詩人〃ブコウスキーが機械マニアだったとは思われない。なのに、なぜ?
 断っておこう。私は別に、コンピュータを使えるから偉いとは思っていない。コンピュータは道具なのである。優れた道具を持っているから優れた文章が書けるとは限らないのは、当たり前のこと。一分一秒を競う短距離走者なら、シューズの出来が、タイムを左右するかもしれない。しかし、文章を書くことは、基本的に、他人との優劣を競う行為ではない。どんなにすばらしいコンピュータを持っていても、それは文章の中身に反映しない。弘法筆を選ばず。使い古されたことわざだが、これはどんな時代の、どんな書き手にも当てはまる。


 ……コンピューターを手に入れてからというもの、わたしの書くものはパワーも分量も倍増した。魔法の代物だ。ほとんどの人がテレビの前に座り込むように、わたしはコンピューターの前に座り込む。
 「飾りたてたタイプライターにしかすぎないじゃないか」と、わたしの娘の夫に言われたことがある。
 しかし彼は作家ではない。何もない空間に言葉が食い込み、光の中に浮かび上がるということが、頭の中に閃いたある思いつきが直ちに言葉に移し変えられ、それが新たな思いつきや言葉をどんどん生み出していく結果に繋がるということがいったいどういうものなのか彼にはわからない。タイプライターで書くのは、泥の中を歩いているようなものだ。コンピューターは、アイス・スケートだ。猛烈な突風だ。言うまでもないことだが、自分の中に何もなかったら、どちらでも同じことだ。それに書いた後には必ず、手を加える作業というか、修正作業がある。くそっ、以前の私はすべてを二度書かなければならなかった。最初にとにかくざっと書いて、二度目に間違いを正したりまずい部分を書き直したりする。こっちのやり方だと、楽しむのも、得意になるのも、逃げ出すのも一度ですんでしまう。


 九一年十月二日、午後十一時三分に記された日記には、こんな文章がある。これを読む限り、ブコウスキーは、マックを使って書くことで、間違いなく、書く力を得ていた。猛烈な突風と形容されるほどのスピード感を自分のものとし、ブコウスキーにしか書けない言葉、文章を産み出していったのだ。ブコウスキーには、風が必要だった。自分を飛ばしてくれる、強い風が必要だった。その風を起こしてくれるのが、マッキントッシュIIsiだった。
 日本語における〃書く〃という言葉は、すなわち〃掻く〃ことから起こっている。物の表面を引っ掻いて掻き傷をつけ、それを文字として表していったのである。だから、鉛筆やペンを使って書くことと、コンピュータを使って書くことは、その動作において、根本的に異なる。鉛筆を使えばまだ引っ掻くことに通じるが、コンピュータのキーボードは打つ、叩くのであって、引っ掻く行為からはほど遠い。しかし、そうして産まれるものは、間違いなく、引っ掻かれたものと同じ、文字である。そして、打ち、叩くことで、書くための力を何倍にもできる書き手が、現代にはいる。その一人が、老いた酔いどれ詩人、チャールズ・ブコウスキーであった。間違いなくいえるのは、ブコウスキーは、書くことに、自分自身をかりたてていたということ。使える手段はすべて使って、書くことに懸命になろうとしたということ。  九一年十一月二十二日午前零時二十六分に書かれた日記の冒頭を紹介する。


 ところで、わたしの七十一年目の年は実に多産な年となっている。恐らくわたしは今年一年で、これまで生きてきたどの一年よりも多くの言葉を書いているはずだ。作家は自らの作品の最もあてにならない審査員だということがあるとしても、わたしの書くものはこれまでと変わることなくよくできているというか、ピークの時期に書いていたものと同じぐらいよくできていると思う気持ちをどうしても否定することができない。一月十八日から使い始めたこのコンピューターがこのことに大いに寄与している。単に言葉を書き留めるのがずっと簡単ということもあるが、頭の中に浮かび上がったことを(あるいはどこに浮かび上がったことにしても)指先へと、そして指先の動きを画面へと、より素早く転換してくれ、しかも転換されたものは瞬時に画面に浮かび上がり、しかも鮮明で明快ときている。本質的にはスピードの問題ではなく、言葉の河がいかに淀みなく流れるかどうかという問題で、もしも言葉が申し分なければ、易々と流れるに任せればいい。カーボン紙も不要だし、タイプし直す必要もない。以前のわたしは一晩かけて原稿を書き、次の夜もう一晩かけて前夜の間違いやまとまりのない部分を訂正していた。綴りの間違いや時制の混乱などなどは、今やすべてを一からタイプし直したり、書き込みを入れたり、抹消したりすることなく、オリジナルの原稿そのものに訂正を加えることができる。でたらめな原稿を読みたがる者など誰一人としていない。それを書いた者ですら読みたがらない。こういうことは、やたらとこうるさくて、注意深すぎることのように受けとられてしまうに違いないが、実はそうではない。こうしたことすべてが、生み出しうるあらゆる力や運を、はっきりとしたかたちにしていくのだ。すべては最善の結果となることを願ってがためで、実際の話、もしもこれが自分の魂を失うやり方だとしても、わたしは全面的に賛成だ。


 書く内容と書くための道具に、直接の因果関係はない。書き手の中身が充実していれば、何を使ってもいい文章が書ける。そのように承知していながら、『死をポケットに入れて』を読んで以来、私はブコウスキーが親しんだIIsiで原稿を書きたくて仕方がなくなってしまった。そして先日、ついに、近所のマック販売店に中古のIIsiを探してくれないかと頼んだのである。人気のないIIsiだ。中古でも人気の機種には相当の値段がついているのに、IIsiは、高くても絶対に一万円しないという。絶対がつくほど安いのである。手に入れるのは難しくない。しかし……。白状しよう。私はすでに、マックを十台も持っている。これ以上、マックを増やしても、使いきれないのだ。それでも、私は内心で、IIsiが見つかることを願う。ブコウスキーと同じマックが使える日を、心待ちにしている。書くことに一生懸命だった詩人と同じ道具を使い、夢中になって文章を書きたい、打ちたいと、思っているのである。




「そのキーを叩け! 二」

“PULP”原本  「わたしは煙草を吸いすぎるし、酒も飲みすぎる。しかし書いても書きすぎるということはない。書きたいことが次々と湧いてきて、わたしがどんどん書き続けようとすると、尽きることなく浮かび上がり、そろそろ眠りにつけ、あるいは九匹の猫たちの相手をしろ、はたまた妻と一緒にカウチに腰かけるんだと、わたしは自分に言い聞かせる。おまえは競馬場にいるか、マッキントッシュに向かっているかのどっちかじゃないか。そこでわたしはやめることにして、ブレーキをかけ、このいまいましい代物を一時停止させる。わたしが書いたものが自分たちが生き抜いていく助けになったと誰かが書いていた。わたしだって助けられた。書くこと、馬たち、九匹の猫たち」
 超えたい。しかし超えられない。どうしても超えたい。いつになったら超えられるのか。超えられなくても、超えようとすること自体を楽しみたい。そう思わせるいくつかのこと、そして、何人かの人がいる。
 チャールズ・ブコウスキー。このアメリカ人の作家は、私にそう思わせてくれる人物の一人。
 冒頭に引用したのは、ブコウスキーの日記を編んだ『死をポケットに入れて』(河出書房新社・中川五郎訳)の、一九九一年八月二九日の一節である。
 『町でいちばんの美女』『詩人と女たち』『くそったれ!少年時代』など。彼には多くの小説があり、詩があり、『バーフライ』や『つめたく冷えた月』は映画にもなり。そのどれもこれもが型破りで、エネルギッシュで、毒に満ちていて、しかし純情そのもので。酒のみの女好きの競馬好きの、酔いどれ詩人と称される人物。
 そんな人間など近づきになりたくない、私には関係ないと常なら思うのに、ブコウスキーだけは、なぜか、いいなあと思ってしまう。ブコウスキーのようになりたいとは露ほども思わないのに、どういうわけでか、ブコウスキーだけは認めたい。理由はひとつ。酔いどれにもかかわらず、彼が原稿を書くことに、一生懸命だから。
 ブコウスキーが最晩年、マッキントッシュで原稿を書いていたことに、私はどうしても注目する。あのブコウスキーが。五十年もタイプライターを使ってきたブコウスキーが。七三歳で死んでしまう、その二年前になってマックを使い始めたという。そんな老年になってマックを使う人間がいるか。長年タイプライターを使ってきたのなら、残りわずかの人生、それで作家人生を貫徹させてもいいじゃないか。誰も文句はいわないし、不思議とも思わないし、むしろマックを使う方が変だ。  「コンピューターというものに、やたらと怒りまくっている編集者をわたしは知っている。二通の手紙を受け取ったが、彼らはコンピューターに毒づいている。恨みつらみが綴られた手紙の文面を読んでわたしはひどく驚いてしまった。それにその子供っぽさにも。コンピューターが私に成り代わって文章を書いてくれるわけではないことはちゃんとわかっている。仮にそういうことが可能だとしても、わたしはそうしてほしいとは思わないだろう。彼らは二人ともちょっと言いすぎなのだ。魂にとってコンピューターはいいものではなかったという推論がある。確かに、そういう部分もあるだろう。しかしわたしは便利さを取る。もしも二倍の早さで書けて、作品の質がまったく損なわれないのだとしたら、わたしはコンピューターのほうを選ぶ。書くというのはわたしが飛ぶ時。書くというのは情熱を燃やす時。書くというのはわたしが左のポケットから死を取り出し、そいつを壁にぶつけて、跳ね返ってくるのを受け止める時」(九一・九・一二)
 大事なことを忘れていた。
 私はブコウスキーが七三歳で死ぬことを知っている。しかし、ブコウスキー本人は知らない。マックを使い始めた時、ブコウスキーは余命が二年しかないなど、少しも思っていない。何歳まで生きるか知らないが、とにかく生き続ける限りは書き続けるし、生き続ける限りはこのマックを使おうと思う。だから彼は、未知の道具であるマックを手に入れた。それはこれから先もずっと使っていくつもりだったから。
 あと二年で死ぬことを知っていたなら、ブコウスキーはこれまで同様、タイプライターを使ったかもしれない。あえて、手間がかかるという危険性をおかすことなく、これまで通りの速度で書ける、手慣れた道具を使い続けたかも知れない。マックを使うことで書く速度は二倍になったとしても、故障した時の対応、馴れるまでの稽古、そうしたことを考慮に入れれば、総合的な速度は変わらないのではないか。
 だからこそ思う。ブコウスキーはまだまだ生きるつもりだった。少なくとも全速で生きて、全速で書いて、全速で飛び、情熱を燃やし続けるつもりだった。七一歳だから少しセーブしようなどという気は、さらさらなかった。
 世の中に何割かいる、未知のものに勇敢な人間だったのだろう、ブコウスキーは。
 例えば私は、未知のものに対し、どうしても構えてしまう。
 まず、CDが出た時がそう。それまでのLPでどうして駄目なのかと思ってしまった。コンパクトディスクのような頼りない、ちっぽけな、きらきら光るだけの円盤が出す音など、信用が置けないと思ってしまった。黒光りした、重々しいレコードが好きだった。しかし、世の趨勢、今ではCDで音楽を聴く。
 私は携帯電話が嫌いだ。携帯電話が出始めた当初、それを使っている人の、これ見よがしな態度が嫌だった。使っている人の風体が、何やらいかがわしい、手首に金の鎖をしているような人間が目だったのも、嫌悪感をかきたてた。この気持ちはぬぐい去れない。先日も、電車の中で携帯電話をかけていた男性と喧嘩寸前になった。幸いに、最後は譲り合ったからよかったが、突っ走っていたらどうなったかわからない。
 水泳の世界でも、鮫肌水着などと呼ばれる、新手の水着が開発された。ほぼ全身を覆う水着を、私は実は、好きではない。見た目が美しくないからだ。選手が鍛え上げた、美しい肉体が見られないからだ。このような意見は、水泳関係者以外の、やじ馬の吐くものであろう。別に彼らは美しさや、外見のために水泳をしているわけではない。ひたすら記録をのばすため、試合で勝つために精進している。だから聞き捨ててもらってかまわないのだが、そこに先端の技術が投入され、大記録が期待できようとも、鮫肌水着ある限り、私は水泳を見たいと思わない。
 パソコンが世に広まり始めた時も、同じだった。私はワープロを使っていたが、原稿しか書かないのだから、パソコンを使う必要はないじゃないかと思った。だいいち、あんな高いもの。見てくれだけのもの。そしてこれは、初期のマックのことだが、日本語の扱いが粗雑なもの。さらにこれは、アップル・コンピュータがパワーブック以前に開発した、携帯可能のマック、Portable(ポータブル)のことだが、電池を入れれば約十キロになるあんな重いものを持ち運べなんて、どうにかしている----。悪態ばかりついていた。
 私がパワーブック150を持ち出して喫茶店で原稿を書いていた時、サラリーマン風の男女が、私をさしてひそひそと話していた。
 「音がいやだよね」
 これはつまり、キーを叩く音が嫌だという。うるさかったのだろう。携帯電話と同じかもしれない。本人は気持ちよくても必要でも、周囲には雑音としか聞こえない。
 「重いんでしょ」
 そう、実際に重いのだ。パワーブック150は約二・五キロ。ポータブルとは比べ物にならない軽さだが、それでも重い。一日持ち運べば夕方には嫌になって放り出したくなる。パワーブックだけ持って外出するのではないのだから。
 「モノクロじゃあね」
 原稿書くのに色とりどりの字を見てどうする。
 「電池だってそんなにもたないみたい」
 約二時間しかもたない。一個の重量もかなりのもの。頭の痛いところだ。
 「よく壊れるんだって」
 確かにそう。壊れてしまうわけではないが、調子は確かに変になる。しかしあなたの恋人だって、死ぬまで健康でいるわけにはいかないはず。そんな相手とつきあうのも人生の……、いや、人間もマックも、健康であるにこしたことはないな、やはり。
 とにかく、新しいもの好きの人がいる反面、新しいものに警戒心を抱く人間がいる。年若い私がそうであるだけに、七一歳になってマックを使い始めたブコウスキーは尊敬に値する。
 「書くというのはわたしが飛ぶ時。書くというのは情熱を燃やす時」
 ブコウスキーはいっている。してみれば、マックとはブコウスキーを飛ばし、情熱を燃やすための道具であったということになる。

 「わたしは恐らくこの二年間で、これまでの人生のどの時期よりも、より多く、よりいいものを書いている。五十年以上も書き続けて。ようやく真に書いているという状態まであと一歩というところに辿り着けたかのようだ。それにもかかわらず、この二か月というもの、わたしは疲れを感じ始めている。この疲れはだいたいが肉体的なものだが、精神的な疲れというものも少しはある。あとは衰退していくばかりということに違いない。考えるだけでぞっとしてしまうことは言うまでもない。理想を言えば、徐々に衰えているのではなく、死ぬ瞬間まで書き続けたい」(九二・六・二三)
 ブコウスキーは、九一年九月二五日の日記に、さりげなく書いている。
 「今、わたしはこの二階のこの部屋にいて、マッキントッシュIIsiと向かい合っている」
 よし、IIsiを手に入れよう。ブコウスキーが使っていたのはIIsiだったのか。なるほど。あれか。
 IIsiといえば、価格を抑えるためだろう、高速処理を可能にするための拡張性が犠牲にされたことが、マックに関するガイドブックには必ず書かれている。購入時は遅い処理状態でも、後から、基盤上に拡張カードを挿すことで、使用者が使い勝手のいいようにできる。しかしIIsiは、それができないか、できても手間をかけなければならないマシンだった。そのため広く長い支持を得られなかった。現在の使用環境では必須と思われるCD−ROMドライブを内蔵しない。多ければ多いほどよいメモリも少ない。
 機種によっては、デザインの美しさや改造の容易さなどから、アップル・コンピュータによる販売が終了しても、熱烈な支持を受けるものがある。
 マッキントッシュの場合、初期のマシンは、ドイツのデザイン会社、フロッグ・デザインによって手がけられていた。そこから生まれたマシン、SE/30やIIciなどは、大げさでなく、持って、使うことが、今でも垂涎の的のマシンなのである。自慢げにいわせてもらえば、私もそれぞれ一台ずつを所有している。
 しかし、ブコウスキーの買ったIIsiは、そうではない。これはフロッグ・デザインが手がけたものではない。フロッグ・デザインのすばらしさは、直感的にいわせてもらえば、直線の組み合わせによって生じる美しさを、威圧感なく、ひとつの像としてまとめあげたこと。しかしIIsiの外観は、どうにもとりとめがない。使用者と相対する側、人間の顔に相当する部分の曲面があいまいだ。威圧感はないが、威厳もなく、親しみもなく、優しさもない、ないないづくしによる威圧感のなさなのだ。
 ずいぶんなことをいっているようだが、デザインは大事ではないだろうか? 使い勝手は二の次でも、デザインだけで買ってみたいと思わせるものが、世の中にはあるのである。もちろん使い勝手とデザインが、よりよく融合できればそれにこしたことはない。フロッグ・デザインによるマックは、そのようなものだった。だからこそ、熱烈な支持を受けるのである。
 だが、私はIIsiでもいい。ブコウスキーが使ったマックだから、私はIIsiを使いたいと思う。
 私は知り合いの店に足を運び、IIsiの中古品が出たら教えてほしいと頼んだ。
 しかし、私が見つけ出す方が早かった。蒲田と金町の中古パソコン店で、立て続けに二台購入した。
 ある時期、金に困って、二台とも他のマック同様売ったのだが、今や再び買い戻している。つい先日も、秋葉原で二千円台の後半で売っていたのを見つけ、あやうく手を出しそうになったが、三台はいらないだろうと言い聞かせてがまんしたほど。
 買ってすぐ、私は蓋を開けて分解し、電気関係以外の部品は洗濯機に入れて洗った。細かいほこりはこうしないと洗い落とせない。そして、磨きに磨いた。初めは白かったはずのマックが、どうしてこんなに黄色くなってしまうのか。日焼か? いや、煙草のやにだ。ブコウスキーは煙草のみである。彼の死後、IIsiはどうなったろう。誰かに引きとられていったのか。私のような買い手がいて、分解したとしたら、全身がやにだらけになって黄色く変色したIIsiを見つけたに違いない……。
 また、こんなことも考えていた。
 『死をポケットに入れて』の挿絵を描いたのは、ロバート・クラムだった。ブコウスキーがたった一人、セーターを着込んでパソコンの画面に向かっている姿が、本の表紙カバーになっている。クラムの絵は、インターネットでも見ることができる。しかし、そこにあるパソコンは。
 ブコウスキーは、はっきりIIsiと記している。しかし、クラム描くパソコンは、IIsiどころか、マッキントッシュですらない。マックに興味のない人は、そんなことどうでもいい、パソコンらしきものが描かれていれば、形なんてどうでもいいじゃないかと思うかもしれない。クラム自身がそうだったのだろう。本質は、ブコウスキーがパソコンに向かって原稿を書いていたということだ。マニアめ、マックだろうがコックだろうが、何だってかまうもんか。
 マック愛好家は、新興宗教の信徒に似ているといわれる。何だっていいものに、どうしてあそこまで熱中するのか。宗教の熱狂は、引いてみれば、まったくばかげたこと、労力の無駄としか映らない。それと同じことがマックにもいえるのだろうか。反論してもいい。しかし反論は、議論が成り立つ場所でこそ意味がある。初めからマックに意義を見出していなければ、反論も何もないであろう。
 ただ、クラムにはこういおう。ブコウスキーが使っていたマシンを、正確に描いてほしかった。それだけなんだよ、いいたいことは、と。
 ……さて、一時間後、まったく元通りではないが、家に来た直後よりは、よほど白くなってIIsiが、目の前にあった。ハードディスクは初期化して、新たにシステムをインストールした。フロッピーディスクドライブと基盤は、めん棒にアルコールをしみこませて掃除した。四つあるゴム足の一個が取れていたので、とりあえず消しゴムと両面テープを使って自作した。見た目はほぼ新品のIIsiが現れた。
 これでブコウスキーと同じになれる----。まさか、そんなことを思うはずがない。ブコウスキーはブコウスキー。私は私だ。マックが私を酔いどれ詩人にしてくれるわけではない。
 しかし、書くべき原稿にはずみをつけたい。そのために、何かをしたいということは誰にもあるはず。私はIIsiを、そのはずみにしたかった。ブコウスキーと同じマシンを使うことで、私は何を書くべきなのか、みつけたかった。
 ……「そのキーを叩け!」、この原稿は、おそらくそのようにして発見したものである。当座はわからなかった。まさか、「そのキーを叩け!」など、書くことになろうとは思わなかった。しかし、私は今、これを書いている。
 これが何になるか、どうなるかはわからない。しかし大事なのは、たった今、書いているということではないのか? キーを叩き続けているということではないのか?
 私はIIsiの電源を入れた。ポーンという音がして、Welcome to Macintoshという起動画面が現れる。ブコウスキーもこれを見ていたのか、一人きりになってマックに向かい、ようこそマックの世界へ、そう語りかけられて、文章を書きだそうとしたのだ。

 ブコウスキーのIIsiに、飼っている猫が小便をしたというくだりは、空しさとほほえましさ、あわれさと滑稽さをもよおさせる。それは九一年十一月二十二日のこと。
 ブコウスキーは始める。「わたしがコンピューターの前に座ったところ」、と。
 「わたしがコンピューターの前に座ったところ、コンピューターがすっかりおかしくなってしまい、爆弾マークが出たかと思うと、とんでもなく大きくて奇妙な音を出し、何度か画面が暗くなった後、完全に何も浮かび上がらなくなってしまった。あれやこれやとわたしは必死にやってみたものの、まったくどうすることもできなかった。そのうちわたしは何か液体のようなものが固まって、画面やコンピューターの『脳味噌』部分の近くにあるスロット、要するにふだんディスクを出し入れするスロットのあたりにこびりついていることに気づいた。わたしの飼い猫の一匹がコンピューターに小便をひっかけたのだ。わたしはマシーンをコンピューター・ショップに持っていかなければならなかった」
 昨夜、私と同居している砂ねずみが、私が家でメイン・マシンにしているマック、パワーブック3400cに、文字を打ちこんだ。
 彼女----、砂ねずみの名前は、もも、という。
 座布団に腰を下ろし、脚の上にパワーブックを乗せて、この原稿を書いていた。夜の数時間、ももはねぐらから解放され、六畳間で縦横無尽に遊ぶ。ひととおり室内の点検がすむと、ももは私にまとわりつく。
 さて、次は何を書こうかと思案していた時。黒い影がさっと画面の前を横切った。ももである。ねずみは別名を家鹿(かろく)という。時に、名前の通りのすばやさ、優雅さを見せてくれる。画面を見ると、私が打った覚えのない言葉があった。
 「っじぇ」
 もものしわざである。どういう意味か。傍らには、してやったりという顔のももが、立ち上がって、私を見ている。
 「っじぇ」。ももの心境だろうか。ももがたった今、考えていることだろうか。それとも私に言いたいことだろうか。
 一年前、家に来たばかりのころは、パワーブックなど見向きもしなかった。それが少しずつ興味を示し出した。キーボードに駆け上がり、反対側に飛び降りようとしたとたん、キーに爪をはさんでぶらさがったこともある。目をぎゅっと閉じ、助けて! 助けて! とあわてふためている。私もあわてたが、爪がひっかかっているキーを押すと、何があったのかという顔で向うにいってしまった。その時に押したのは、エスケープキーであった。
 「……みんなにわかってもらわなくちゃならないのは、競馬場から帰ってきて、フリーウェイを下り、このコンピューターの前にたどり着くと、どうしてこいつがこんなにも素的に思えてしまうのかということだ。これから言葉を打ち込んでいくまっさらのスクリーン。そしてわたしの妻と九匹の猫たちはこの世の天才たちのように思える。実際そうなのだ」(九二・一・十八)
 私にとって、マックはなくてならないものだ。それがないと力が発揮されないし、生きている甲斐もない。ももも、いなくてはならないものだ。ももはキーボードの上に立ち上がり、画面の上をひらひらと飛ぶポインタを追いかける。幸い、マックに向かって小便をしたことはない。ブコウスキーにとって、猫は生きていく上で必要なパートナーだった。私にとっても、マック、ももは、生きるために欠かせない存在だ。
 「わたしは二階に上がって、コンピューターの前に座った。わたしの新しい慰め相手だ。コンピューターを手に入れてからというもの、わたしの書くものはパワーも分量も倍増した。魔法の代物だ。ほとんどの人がテレビの前に座り込むように、わたしはコンピューターの前に座り込む」(九一・二・十一)
 ブコウスキーの文章を読んでいると、他の誰が書いた文章に増して、大きく強い啓示を受ける。ここに一人、原稿を書こうとして悪戦苦闘する人間がいる。マックで原稿を書こうとして、これ以上ない楽しみにひたっている人間がいる。私も書かなければ。そう、思うのだ。
 「タイプライターで書くのは、泥の中を歩いているようなものだ。コンピューターは、アイス・スケートだ。猛烈な突風だ」(九一・二・十一)
 ブコウスキーは、処理が遅いとされるIIsiですら、滑るように、追い風に吹かれるように書くことができると実感した。泥の中を歩むように、よどんだ空気の中を歩むように書きたいと願う人もいるだろう。しかし、ブコウスキーはマックの速度を愛でた。二年間で、マックを使ってブコウスキーが著した作品は、この日記『死をポケットに入れて』と、小説『パルプ』だった。七十三歳であの世に旅立たなければ、ブコウスキーはまだ書いていただろう。その機種は、最新鋭機のG4マシンになっていたかもしれない。
 「……わたしの七十一年目の年は実に多産な年となっている。恐らくわたしは今年一年で、これまで生きてきたどの一年よりも多くの言葉を書いているはずだ。作家は自らの作品の最もあてにならない審査員だということがあるとしても、わたしの書くものはこれまでと変わることなくよくできているというか、ピークの時期に書いていたものと同じくらいよくできていると思う気持ちをどうしても否定することができない。一月十八日から使い始めたこのコンピューターがこのことに大いに寄与している」(九一・十一・二二)
 変化するばかりがいいのではない。タイプライターをマックに変える、日本人ならペンと原稿用紙をマックに変える。そのようにすることだけが、尊敬に値することだとは思わない。問題は中味である。道具ではない。しかしブコウスキーは、少なくとも、マックを使うことで充足感を得た。原稿のできがどうなのか、それはともかく、置くのだ。まず作家本人が満足できなくてどうする。マックを使って満足できるのなら、それにこしたことはないではないか。
 書け! 書け! ブコウスキー!
 砂ねずみだってマックで言葉を記した。J、J、Eとローマ字入力し、「っじぇ」と書いた。
 私も書く。書かずにいるものか。キーを叩かずにいるものか!




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