torotta9.poem


■ 第9回 トロッタの会

鉄と
コンクリートの街に
潮騒を聞く
砂浜があった
街角の向こうに
夜明けの海が見える

それは青
深くて濃い
生命を今も
育んでいる

2009年9月27日(日)15時開演 14時30分開場
会場・エレクトーンシティ渋谷

『La Nouvelle Chanson de IMAI Shigueyuki』2009
作曲/今井重幸
「ピノッキアーナ」編曲・清道洋一 詩・今井重幸
「風はつぶやく」編曲・橘川琢 詩・尾嶋義之
「哀しみの海の滄さ」編曲・橘川琢 詩・山本雅臣
ヴォーカル/笠原千恵美 フルート/田中千晴 オーボエ/今西香菜子 クラリネット/藤本彩花 ヴァイオリン/田口薫 ヴィオラ/仁科拓也 チェロ/香月圭祐 ピアノ/並木桂子 バンドネオン/生水敬一朗 エレクトーン/大谷歩

『アルバ/理想の海』2009
作曲/大谷歩 詩/木部与巴仁
ソプラノ/赤羽佐東子 ヴォーカル/笠原千恵美 詩唱/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ヴァイオリン/田口薫 ヴィオラ/仁科拓也 チェロ/香月圭祐 エレクトーン/大谷歩

『花骸-はなむくろ-』op.37 2009
作曲/橘川琢 詩/木部与巴仁
詩唱/木部与巴仁 詩唱/中川博正 フルート/田中千晴 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 花/上野雄次

『ムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る』2007/2009[編作版初演]
作曲/田中修一 詩/木部与巴仁
ソプラノ/赤羽佐東子 打楽器/星華子 ピアノ/森川あづさ エレクトーン/大谷歩

フルート、ファゴット、エレクトーンのための『青峰悠映』-序奏と田園舞- 1989/2009
作曲/今井重幸
フルート/田中千晴 ファゴット/平昌子 エレクトーン/大谷歩

『Venus 4〜6』1972
作曲/Alejandro BARLETTA アレハンドロ バルレッタ
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 バンドネオン/生水敬一朗

詩曲『宇の言葉〜七角青雲・光うた・火の山〜』op.39 2009
作曲/橘川琢 詩/木部与巴仁
詩唱/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代

『アルメイダ』2009
作曲/清道洋一 詩/木部与巴仁 ソプラノ/赤羽佐東子 ヴォーカル/笠原千恵美 詩唱/木部与巴仁 詩唱/中川博正 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ヴァイオリン/田口薫 ヴィオラ/仁科拓也 チェロ/香月圭祐 フルート/田中千晴 オーボエ/今西香菜子 クラリネット/藤本彩花 ファゴット/平昌子 ピアノ/徳田絵里子 エレクトーン/大谷歩

『めぐりあい 秋』2008/2009
作曲/宮崎文香 編曲/大谷歩 詩/木部与巴仁
出演者とお客様による合唱・合奏




La Nouvelle Chanson de IMAI Shigueyuki

「ピノッキアーナ」今井重幸

月の光に現われて
獣は眠る
鳥たちも眠る
妖精たちは踊る
白いRondeau(ロンド)を
まどろむ沼のまわりでは
ものいう花が
静かにそよいでる
私はピノッキアーナ
夢見るピノッキアーナ
私はピノッキアーナ
飛び立つピノッキアーナ

緑の風に誘われて
心ははずみ
足取りも軽く
見知らぬ町の広場
みんなが踊ってる
子どもとピエロが歌っている
すべてが新しい
不思議な世界だわ
私はピノッキアーナ
夢見るピノッキアーナ
私はピノッキアーナ
迷えるピノッキアーナ

ふるさとの森をあとにして
いつしか深い暗闇の世界
誰かが呼んでる
ホラー!
心の扉に
うつろな心を押し開き
愛と希望が
この胸に湧いてくる
私はピノッキアーナ
夢見るピノッキアーナ
私はピノッキアーナ
幸せなピノッキアーナ
ピノッキアーナ!
ピノッキアーナ!



「風はつぶやく」尾嶋義之

かくれた所で風が吹いてる
メインストリートからは
それは見えない 見えるのは
裸の街路樹だけだ

路地を曲がると
ビルの谷間で
切れ長の目がまたたいている
神様のひそかなウインクだ

寒い午後
にわかに風がまき上がり
恋のように突っ走る

独楽のように回りながら
風はつぶやく
あなたは、あなたは疲れているだけだ
人生はまだ
  捨てたものではない



「哀しみの海の滄さ」山本雅臣

夕日そめる
空はるかに
忘られぬ人想えば
哀しさに
今も深く横たわる
海の滄さ
誓い合った愛を信じて
咲き乱れ輝いた二人
夢ならば消えておくれ
悲しすぎる愛の別れ
夢ならば消しておくれ
恋しすぎる愛の日々を

誓い合った愛を信じて
幸わせに輝いた二人
夢ならば消えもしよう
忘れられぬあの思かげ
夢ならば消えもしよう
哀しみの海の滄さ
風が海をゆく
はるか海を越えて

   *

『アルバ/理想の海』
*アルバalbaとはスペイン語で、夜明けの意味である。

木部与巴仁

鉄と
コンクリートの街に
潮騒を聞く
砂浜があった
街角の向こうに
夜明けの海が見える

それは青
深くて濃い
生命(いのち)を今も
育んでいる

何もかも信じていた
あれはまだ
幼い少女のころ
光と戯れる

空と海の境界線に
生きていた

焼けたアスファルトを人がゆく
にごった空気を呼吸し
高いビルは空を遮る
想像もできない生活があった

空と海は
どちらが大きいの

そんな問いかけをして
笑う親たちの顔を見ている
少女
海原を舞う鳥
船に乗れば魚が見える
波に洗われてゆく蟹や船虫と
一緒に生きる
それが私だった



しろうまが走っている

灰色の空の下
荒れる海に
祖父は白い馬を見た
ちぎれて飛ぶ
煙草の煙

しろうまが走っている

無数の波頭を
白い馬だという
祖父の目に見えたものが
しかし
幼い少女の私には
見えなかった

大工だった祖父
自転車の荷台に道具箱を載せ
朝になると静かに
家を出てゆく
きれいにかんなをかける人
祖父の分厚い手が
小さな私の手を引いた

しろうまが 走っている

祖父のつぶやきが
今も耳に残って離れない



親も
仲間も
恋人もいなくなった蜥蜴(とかげ)が
どこか知らない場所で
生きようとして
泳ぎ始めた

海も
泳ぎも
初めてだったけれど
尻尾を振り
体をくねらせ
手と足で潮を掻くと
前へ進んだ
ふと
自分たちは昔
蛇だった
このからだを地面からほんの少し
持ち上げて暮らしたい
そう思ううちに
手足が生えたという昔話を
思い出していた

島影を伝い
潮を飲み
また島影を伝い
魚たちにからかわれ
蜥蜴は泳ぎ続ける
見上げた空に
光の柱が立っていた
雲の切れ間からまっすぐに
柱の周りを飛ぶ
無数の鳥
まぶしかった
揺れる体に
海は遠く果てしない

一昼夜泳いで
あたりが静まり
夜が明けようとするころ
蜥蜴はたどりついた
まだ暗い
静かな浜辺に
疲れていた
波に背中を押され
重い体を持ち上げて
歩き始めようとした時
砂の音をさせながら
駆け寄ってくる足音を聞いた
人の娘だった
娘は蜥蜴の後ろに回ると
手にした着物を肩にかけた
どこから来たの?
娘の言葉を聞いて
蜥蜴は自分が
人になっていることを知った



あの山の頂では今も
貝殻が見つかる
このあたりは
ずっと海だったと聞いて
それはいつごろと
母親にたずね
また苦笑いをされたのだが
想像したことは
きっと母と違っている
海の底に広がる町を
私は想った
家も
家の周りをめぐる道路も
この町も何もかも
海にあった
人でなくていい
魚でも貝でもいい
青い
透き通った海に
うっすら射す
太陽の光を感じながら
ゆらゆら揺れて
誰も彼もが暮らす
疑いもない
いさかいもない
山の頂で貝殻が見つかる
そんな町があった
遠い昔には
そう想いながら
小さな私は海の底を
ただよっていた



夜に
ゆっくりと訣別する
海原に立つ
白い影
それは朝の霧
群青の雲は低く遠く
視界を覆う
この空をたどれば
海がある
私が暮らす
この冷たい街に
海を感じたくて
目を閉じた
朝へ
夜の闇から
目前で移り変わってゆく
海の姿を思う
たったひとりの私
潮騒の響き
それは遠い時間の音
打ち寄せる波に
海の歌を聴いている

   *

花骸-はなむくろ-

木部与巴仁

山蛭に脚を噛まれて
聖(ひじり)はもう
歩けなくなった
横たわり
じっとりと
湿った土に唇をあてる
忘れていた気持ちよさだった
自分はここで
死ぬだろう
死んだ方がよい
脚を噛んだ蛭は
かつて都で巡り合い
この手で殺めた女ではないかと想った
生まれ変わり
蛭として呼び止めたのだろう



夜でもないのに
真っ暗だった
飛ぶ蝶の姿だけが
あざやかだった
はらはらと飛ぶ
はらはらと
屍から生まれ
花のまわりを飛んでいる



負け戦だった
行くあてもなく
海から山へ 山の中へ
ヨジローは落ちていった
ヨジローが忍んだ家に
ひとりで暮らす女がいた
一年が経つころ 人は
赤ん坊に乳をふくませる女を見た
ヨジローは追われていた
遠く都を離れた山の中にも
こんな落武者がいたら差し出せと
きつい達しが回ってきた
ある 月のない晩
ヨジローは殺された
釜や鍬に打ちすえられて
女と子供も殺された
ヨジローの首は塩漬けにされ
遠い都へ送られた
女と子供は縄でしばられ
谷底深く捨てられた
人々は竹林に穴を掘り
首のないヨジローに
おまえは合戦で
耳を射られたから死んだのだと
いいきかせて埋めた
月のない晩には
ヨジローに会いたいと
谷底から女と子供がやってくる



夜でもないのに
真っ暗だった
飛ぶ蝶の姿だけが
あざやかだった
はらはらと飛ぶ
はらはらと
屍から生まれ
花のまわりを飛んでいる



名は みとせ
遠縁の少女を訪ね
夏休みを過ごそうと
私は山を
いくつも越えた
十二歳だった
みとせも十二歳だった
ナラクの瀧に行こう
木々の合間を縫って岩肌を水が流れ落ちる
ぽっかり口を開けた瀧壺に
紺色の水着を着た
男の子が女の子が どんどんと身を投げる
みとせも投げた
私は見ているだけ
深い緑色の瀧壺が怖かったのだ
みとせの姿が
やがて見えなくなった
みっちゃん みっちゃん
おおぜいの大人が
水に潜り
水に潜りして探した
子どもたちは遠巻きに眺めていた
泣き出す子もあった
夏が終るころ
私は転勤した父親に伴われ
東京に引っ越した
もうずっと東京で暮らしている
みっちゃん みっちゃん
みっちゃん みっちゃんやあ
十二歳の少女を呼ぶ声が
今でも聴こえてくる



夜でもないのに
真っ暗だった
飛ぶ蝶の姿だけが
あざやかだった
はらはらと飛ぶ
はらはらと
屍から生まれ
花のまわりを飛んでいる



雉や猪や蛇や蛙や百足が見つめていた
首に巻く
スカーフもあざやかな
若い女が
山道に現れたのだ
薄い
桜色の布を風になびかせて
ハイヒールをはき
しっかりとしと足取りで
枝を払い草を踏む
どこへ行くの?
誰だい?
女は答えずに歩いた
お食べよ
またたびが呼びかけると
女はにっこり微笑み
その実を含んで噛み砕いた
人じゃない
人じゃないんだ
ひそひそと声が起こった
女の姿が消えた後
スカーフが落ちていた
日が経ち時が移り
鳥や獣や虫たち
木や草たちが生き変り死に変りしても
色あせずあざやかなまま
スカーフはずっと
落ちていた

   *

亂譜

木部与巴仁
註)はじめの詩は、木部与巴仁による原詩「乱譜」です。続く詩は、田中修一氏が楽曲化するにあたって手を加えた「亂譜」です。

街 焼き尽くさば
瓦礫なす 荒れ野なり
見たし と思えど
街のさま すでに
瓦礫なりや
われ ひとともに
あてどなく
往き来する か

心 乱る
ひとり居に 交わりに
問えど その故 暗し
身を割く
ひびわれの道に似て
割けと ひたすらに
乱る か

白々明けの街に
寂しき 靴音響く
あてどなし 影を追い
ひたすらに 往く
山となり おびただしく積む
心写しの 瓦礫
疾風たち 白き頬に
ひと筋の血 にじむ
あざやかなり 赤



街 燒き尽くさば
瓦礫なす 荒れ野なり
見たし と思へど
街 すでに
瓦礫なりや
吾 人共に
あてどなく 往き來する か

心 亂る
ひとり居に 交はりに
問へど その故
身を割く
ひびわれの道に似て
割けと ひたすらに
亂る か

白々明けの街に
寂しき 靴音響く
あてどなし 影を追ひ
ひたすらに 往く
山となり おびただしく積む
心寫しの 瓦礫
疾風たち 白き頬に
ひと筋の血 にじむ
あざやかなり 赤

   *

詩曲『宇の言葉』op.39  2009
*予定されていました『1997年 秋からの呼び声』は差し替えられました。

木部与巴仁

七角星雲

夜を走る
バスの窓から見た
星の雲
七つに尖った
宇宙の戯れ
目をつむれば行ける
光に乗って
何も聴かず
身を横たえ
心に描いてみる
北の町は遠く
星の町はさらに遠い

光うた

海の酒に身をまかせ
私はひとり 泳いでいる
海の底にも桜は咲いて
温かな花見の宵
鯨の声を聴くがいい
千年歌い継いできた
光うた 夢の風景
振り仰げば浮かぶ月
波間越しの満月が
海原に映えている
火の山

目を覚ますと
朝はまだ遠かった
一番啼きの鴉が
闇と戯れる午前三時十五分
噴き上げていた 真っ赤な炎
火の山の夢が
今夜も私を眠らせない
とりつかれてしまった
冬から春へ 六か月
どこかにきっとあるだろう
どこかで私を待つだろう
いつの日か
私は火の山を見るだろう
そう思いながら迎えている
静かな夜明け

   *

『アルメイダ』2009
註)はじめの詩は、木部与巴仁による原詩「アルメイダ」です。続く詩は、清道洋一氏が楽曲化するにあたって手を加えた「清道版・アルメイダ」です。

木部与巴仁

〈まず、「亡命詩人」という題の覚書が示される。詠まれる必要はない。このような世界が背景となって、詩が生まれたと理解されればいい。覚書の扱いは、作曲家にまかされる〉

『亡命詩人』

アルメイダの港に着くと、まっすぐホテルに向かった。「海国へ ようこそ」とアルファベットで書かれた、ささやかなポスターがはられていた。ホテルのそばにカフェがある。木陰に、テーブルと椅子が並べられていた。客は何組かいたが、目にとまったのは、サングラスをかけた、髭の男だった。五十代半ばだろうか。サンダルを履き、白い上着に白いズボン姿だった。私がコーヒーを飲んでいる間、男は、テーブルに広げた紙に、ペンを走らせていた。ひと言かふた言、書いては休み、天を仰ぎ、また書き、ため息をつき、ぶつぶついいながら、書き続けていた。気になったが、所用をすませるため、カフェを後にした。

翌日も、男はいた。昨日と変わらない様子だった。次の日も、そのまた次の日も、同じだった。一週間後、明日はアルメイダを発つという日、さりげなく、カフェの店長に尋ねてみた。男は詩人だという。亡命詩人だという。しかし、他国から来たのではない。かつては歴とした、アルメイダ海国の国民だった。訳があって国籍を捨てた。しかし、その後もアルメイダにとどまり、毎日、ああして詩を書いているという。男の存在は、誰もが知っている。その詩は、愛唱されてもいる。私も聴いたことがあるが、アルメイダの国歌は、男の詩だそうだ。亡命した男の言葉が、国歌として、歌われるものだろうか。

彼は、彼女の恋人だったからね。店長はいった。彼女? 問い返した私に、顎で、カフェの奥を示した。女王、アルメイダ二世の肖像が飾られていた。この国では、代々の王が、女性である。その女王と、あの亡命詩人が恋人同士だったとは。客の相手をしに去っていった店長に、口の中で礼をいった。海風が吹いていた。外に出ると、男の姿は消えていた。テーブルに紙を広げたままで。かさこそと、足元で音がする。風に飛ばされ、行き場をなくした紙である。拾い上げると、全体が、大きなバツ印で消されていた。反故だろう。大小の文字が書かれていた。ていねいな文字もあれば、走り書きもあった。ここに、生まれようとして生まれなかった詩があると思えば、詩に縁のない者の心も動く。だが、アルメイダの文字が、私に読めるはずはなかった。



〈アルメイダで、詩を集めてみた。まず、「古謡」である。代表的な、「千尋(ちひろ)」を紹介する。アルメイダには、海底にある、あるいは、あったという都に関する言い伝えが多い。日常では使われない古語による歌唱が本来である。市民の手で、保存の運動が行なわれているが、伝統的な歌い手は、わずかしか残っていない〉

『千尋』

ちひろのそこにあるといふ
あおきみやこへたびをせむ
ちひろのはてにきえてゆく
ゆめのみやこでゑひたしと
うみのそこにもゆきはふる
うみのそこにもつきはてる
うみのそこにもはなはさき
うみのそこにもとりはとぶ
いくせんねんがすぎてゆく
ただ またたきのまに



〈「国歌」である。アルメイダでは、波頭を白い馬と形容する。水平線の向こうから多くの人や物がやってくる、こちらからも水平線の向こうに行く。そのような海国のありようを楽曲化した国歌である〉

『碧(あお)き国』

海辺に生まれた
私の国
波間を走る
白い馬に導かれ
愛する者はやって来た
これぞわが
美(うま)し国
おお アルメイダ
とこしえに とこしえに
清くあれ



〈「民謡」であり、「フォークソング」である。民間に伝承されていた歌謡が、ギターなど、持ち運びしやすい楽器を用いて歌われることがある。『鳥』は、その代表的な曲である。形式が定まっており、時事的なテーマ、政治的なテーマなど、自由に創作して歌われる。そのようにして、無数の詩が生まれている〉

『鳥』

鳥になろう
一茎の幸せを
海を越えて運んでくる
鳥になろう
一茎の幸せを
東の空から運んでくる
鳥になろう
一茎の幸せを
星降る夜に運んでくる
鳥になろう
一茎の幸せを
光と一緒に運んでくる
あの鳥になろう



〈「歴史歌」「史歌」といえるもの。古くからの伝承が残り、歴史は長く、それは人文科学の方面からも立証されているが、アルメイダ海国の、近代国家としての歴史は、まだ浅い。歴史を歌うことで、国民に愛国心を抱かせようとしている。どこの国でもとられる政策である〉

『微笑みこそ』

国稚(わか)く
人の心は定まらず
わらべに似て
二心(ふたごころ)なく
楽しみと哀しみを分け合った

国長(た)けて
人の心は強くなり
男たちは
傷つけあう
女たちは
ののしりあう
終わりも知らず
倒れ伏すまで

国栄(さか)えて
人の心は浮かれざわめく
一夜限りの
楽しみを求め
失うものの多さに
気づかないまま
なぜかは知らず
疲れ果て
暗い朝を迎えた
人を惑わす
うたかたの享楽
炎でもない
嵐でもない
災いをもたらすもの
それは醜い
人の心

国老いて
人の心は穏やかに
争いも
闘いも
今は遠い昔のこと
舞い踊れ
祝いの場所で
奏でよ歌え
微笑みこそが美しいと
思いながら



〈「現代詩にもとづく歌」を三篇、取り上げておく。読み人知らずである。いずれも短いものだが、詩は、多かれ少なかれ、時代の人の心を反映するものであろう。アルメイダの人心が、一般に難解とされる現代詩にも現われている。題を便宜的に付した〉

『ひとで』

午後
時間を数えながら
木陰にいた
すでに
一個のひとでだった
海の底に印された
星の形
気だるさが
私の首を絞めにくる
潮風に乗って
もう
じゅうぶんに生きたと思う
ひとでのことなど
あの女は
もう覚えていない


『わだつみ』

一枚の
紙きれに
海を見た瞬間
翼を広げて
大きな鳥が飛び立った
振り向く間もない
上着は波しぶきに濡れ
サングラスは
横殴りにさらわれて
波間に沈む
海の女たちが呼んでいた
乳房もあらわに
手を広げて
身を踊らせよう
帰る家もない私なのだから


『夜の海』

生命(いのち)は
海から生まれた
それなら海は
どこから生まれた?
抱えた膝に
顔をうずめて
夜の水平線を見つめていた
七歳の私
時おり
稲妻が走った
真っ黒な雲の中を
何かが起きると思った
しかし
何も起きなかった
膝を抱えた私の前で
冷たいまま
海はどこまでも広がっていた



〈「詠唱」である。十九世紀半ば、イタリアで創られた歌劇『アルメイダ』は、よく知られている。海を舞台にした一国の興亡劇は、多くの創作家の心を動かした。フランスの作家が、まず小説にした。文学性より、絢爛豪華な物語性が重視された作だが、それだけに、歌劇にはなりやすかったかもしれない。ただ、実際の国より歌劇の方が有名な事実は皮肉である。アルメイダと聞いて歌劇を連想し、同じ名前の国があると聞いて驚く人は多い。現実のアルメイダ海国は、それほど人の口には上らない。半ば忘れられた国である〉

歌劇『アルメイダ』より
「王妃の詠唱」

アルメイダ
それはわが喜び
アルメイダ
それはわが哀しみ
愛すれば哀しい
哀しいほどに愛せよと
教えてくれたのは
あの人と見た
流れ星

海の城が燃えている
横たわる屍
血に染まる海原
私の国が滅んでゆく
聴こえてきた
あの人の詩(うた)
つわものたちが
泣きながら
歌っている

黒い吐息が
この国を変えた
海風が手を伸ばす
碧(あお)い衣をはぎとろうとして
惨めになるくらいなら
死んでしまいたい
あの人は
この世にもう
いないのか
詩(うた)を残して
逝ったのか

アルメイダ
それはわが喜び
アルメイダ
それはわが哀しみ
愛すればこそ哀しい
哀しいほどに愛せよと
教えてくれたのは
あの人と見た
流れ星

アルメイダが去ってゆく
遠い
霧の向こうに
いつの日か必ず
帰ってこよう
言葉にならない思いとともに
私たちは生きるだろう
再びまみえる日まで
何処とも知れない 離れ離れの土地に暮らしながら
海を捨てても
空を捨てても
アルメイダをめざして
思いはただ
海の国
アルメイダをめざして



『亡命詩人』補遺

アルメイダを訪れている。以前と同じホテルに泊まっている。窓から見下ろすと、亡命詩人の姿が見えた。あいかわらず、サングラスをかけ、白い上着に白いズボン姿で、テーブルに紙を広げて書き続けている。私の手元には、前に拾った、彼の書き損じがあった。アルメイダの文字を読める友人に、翻訳してもらった。書かれているのは、詩などではないという。アルメイダにある、土地の名や、食堂の名、通りの名、花の名や鳥の名などが、脈絡なしに並んでいるだけだという。その男が詩人であるかどうかより、男の精神が疑われるとまで、友人はいった。カフェの店長からは、男が、アルメイダの女王と、かつて恋人同士だったと聞いた。友人には伝えていない。否定されるに決まっているから。国歌の詩まで書いたという。多くの国民に愛唱されているというが、真偽はわからない。ただ、私は見たままを信じたかった。男が、何かを書き続けている姿は、間違いのないものだ。それだけでじゅうぶんだった。

   *

《アルメイダ》
木部与巴仁の詩を基にした狂想的幻想曲
あるいはある種の協奏曲として
清道洋一 (2009)

はじめに

皆さんは、「アルメイダ」と名づけられた長編の詩を手にしているだろう。それは、美術家小松史明さんの手によりデザインが施された大変美しいものであると確信する。僕はこの長編の詩に作曲したのではない。この詩がどのようなきっかけで書かれたのかの説明を試みたのである。ここで聴かれる『音楽』も、皆さんが観ることになる『状況』も、すべて詩人の心の中の世界である。だから、長編詩「アルメイダ」のための音楽は、これから作曲されるはずであるのだが、それが、どんなものとなるのかは僕自身にもわからない。

1 ドードー鳥の独白

アルト あたしの体は大きいが翼はとっくに退化しちまった。だからもちろん飛ぶことなんかできやしない。見てくれかい? まぁ、何だね? 顔といったら額まで禿げ上がり、特徴的なくちばしは25センチもあったのさ。ふん、大きすぎるだって? 世の中には必要のないものなどありはしないのさ。どんなもんでも神様がおつくりになったんだからねぇ。1507年! 私が住むマスカリン諸島が発見された。私たちは食料にされ、見世物にされるために乱獲され、1681年この世から姿を消した。この間わずか180年。

2 出会い

男優 わーっ!
詩唱 ホテルのそばにカフェがある。木陰にテーブルと椅子が並べられていた。男は−、男は詩人−だという。亡命詩人だという。しかし−、他国から来たのではない。かつては歴としたアルメイダー アルメイダ?
男優 ………
詩唱 あなたは?
男優 おい、お前に俺が見えるのか?
詩唱 見えるも何も−
男優 ふーん。だったらお前も−
詩唱 ?
男優 いいってことさ。
詩唱 −?
男優 なぁ、いいかい。目に見えているものがいつまでもこの世にあるとは限らんように、今、目に見えないものが、昔も見えなかったとは限らないんだぜ。
詩唱 −あの

3 オーロックスの独白

男優 俺たちはヨーロッパを中心としてアフリカ北部からユーラシア大陸各地に広く生活していた。体長およそ3メートル、体重600キロ。長さ80センチの角をもつ。有名なラスコー洞窟の壁画には俺たちの姿も残されている。それだけあんたらの生活に密着した存在だったのだろう。俺たちはあんたらの食料にされ、あるいは、狩猟欲を満足させるための格好の獲物となり、減っていった。16世紀に俺たちの禁猟区が作られたが、それは貴族たちが自分が狩猟する分の確保のために作ったものだ。だから、てめぇらの気が済むままに俺たちを捕りつくしたら、禁猟区も当然、閉鎖された。おれたちは、ポーランドのヤクトロフカの保護区にだけ残されたが、その保護区の中においてさえ、なおも密漁され減り続け、1627年に死に絶えた。なぁ、いったい俺たちのどこがあんたらの狩猟慾に火をつけたのだろう? 最後の8年− 俺はたった独りでこの世から絶滅するのを待っていたのさ。

詩唱 港へつくと、まっすぐとホテルへ向かった。ホテルのそばにカフェがある−

4 千尋

アルトと室内管弦楽のための「千尋」

ちひろのそこにあるといふ
あおきみやこへたびをせむ
ちひろのはてにきえてゆく
ゆめのみやこでゑひたしと
うみのそこにもつきはふる
うみのそこにもつきはてる
うみのそこにもはなはさき
うみのそこにもとりはとぶ
いくせんねんがすぎてゆく
ただ またたきのまに

詩唱 千尋の底にあるという、碧き都へ旅をせむ…… 千尋の果てに−

5 干渉

男優 おい! 何が見えた?
詩唱 ?
男優 だからさ−
詩唱 全体、あなたはだれなのですか?
男優 見えたんだろ?
詩唱 えっ?−

アルト 1700年 モーリシャスクイナ
    1726年 ロドリゲスクイナ
    1768年 ステラーカイギュウ
    1770年 ジャイアントモア
    1777年 タヒチシギ
    1800年 ブルーバック……

男優 国稚く 人の心は定まらず!
   国長けて 人の心は強くなり
   国栄えて 人の心は浮かれざわめく
   国老いて 人の心は穏やかに−

詩唱 ちひろのそこにあるといふ
   あおきみやこへたびをせむ
   ちひろのはてにきえてゆく
   ゆめのみやこでゑひたしと
   うみのそこにもつきはふる
   うみのそこにもつきはてる
   うみのそこにもはなはさき
   うみのそこにもとりはとぶ
   いくせんねんがすぎてゆく
   ただ またたきのまに

男優 瞬きの間に 瞬きのあいだに 何を見た? 国! 国! 国!? 国稚く−

6 『微笑みこそ』

室内管弦楽と詩唱による『微笑みこそ』

国稚(わか)く
人の心は定まらず
わらべに似て
二心(ふたごころ)なく
楽しみと哀しみを分け合った
国長(た)けて
人の心は強くなり
男たちは
傷つけあう
女たちは
ののしりあう
終わりも知らず
倒れ伏すまで

国栄(さか)えて
人の心は浮かれざわめく
一夜限りの
楽しみを求め
失うものの多さに
気づかないまま
なぜかは知らず
疲れ果て
暗い朝を迎えた
人を惑わす
うたかたの享楽

7 リョコウバトの履歴書

アルト アルメイダの港へつくと まっすぐとホテルへ向かった。「海国へようこそ」とアルファベットで書かれたささやかなポスターが貼られていた。ホテルのそばにカフェがある。木陰にテーブルと椅子が並べられていた。男は、テーブルに広げた紙に、ペンを走らせていた…… 男は詩人だという。亡命詩人だという。しかし他国からきたのではない。かつては歴としたアルメイダ海国の国民だった…… 男の存在は誰もが知っている。その詩は愛唱されている。

詩唱 海辺に生まれた
   私の国
   波間を走る
   白い馬に導かれ
   愛するものはやってきた

男優 わたくしたちは、全人類の人口よりも遥かに多く、当時、最も数の多い高等生物であったといえましょう。ある有名な学者の1838年の日記には、頭上を通過する私たちの群れが、3日間途切れることなく飛び続けたと記録されております。私たちの肉は大変おいしく、その上私たちを撃ち殺すことは、裕福な層の人にとっては嗜むべきスポーツでありました。ところが、1890年代に入ると私たちの姿はほとんど見られなくなり、ハンターたちが趣味の狩りをしようにも肝心の獲物がいないと気付いて慌てた時には、私どもはアメリカの空から消えていなくなっておりました。18世紀には北アメリカ全土で50億羽が棲息したと推定されたわたくしたちも、1906年にハンターに撃ち落されたものを最後に、野生のものは姿を消し、1908年に7羽、そして1910年8月には、動物園で生まれたただ一羽をのこすのみとなりました。彼女は、檻で生まれ檻の中で一生を過ごし、1914年9月1日午後1時、檻の中で老衰のため死に、わたしくしたちは永遠に姿を消しました。

8 アリア

ソプラノと室内管弦楽による断章 「王妃の詠唱」

愛すれば哀しい
哀しいほどに愛せよと

海の城が燃えている
横たわる屍
血に染まる海原
私の国が滅んでゆく

黒い吐息が
この国を変えた
海風が手を伸ばす
碧(あお)い衣をはぎとろうとして
惨めになるくらいなら
死んでしまいたい

9 終わりのはじまり

アルト 男の存在は、誰もが知っている。その詩は、愛唱されてもいる。私も聴いたことがあるが、アルメイダの国歌は、男の詩だそうだ。亡命した男の言葉が、国歌として、歌われるものだろうか。彼は−

詩唱 彼女の恋人だったからね。男はいった。彼女? 問い返した私に、男は顎で、カフェの奥を示した。女王、アルメイダ二世の肖像が飾られていた。この国では、代々の王が、女性で−
男優 おい!見えてきたんだろう? こないだまであった風景や残されたはずの思い、あの時、あの瞬間にあったものはいったいどこへ行っちまったんだろう?
詩唱 どこへ……?
男優 そうさ。大切な思い出や絶滅した動物、亡くなった人の記憶−そんなもんが、あの時のまま、あの瞬間のままで存在する世界−見つけたんだろ? 目に見えるとか、感じるとかじゃねぇ! あるかないかでもねぇ。あるならあるし、無いとなればそんなもの永遠にありはしねぇ− さぁ、見せてみろよ、おめぇが見つけたものをさ? さぁ、見せろ! おめぇが見つけた世界を!!

詩唱 アルメイダは、海の国である。世界最古の歴史を持つ。その存在は、19世紀初頭まで知られなかった。アルメイダはどこまでも広がる。世界地図を見てほしい。碧(あお)く塗られた部分が、すべてアルメイダである。アルメイダの、いわゆる国土は、陸地ではなく海なのである。

10 始まりの始まり

『碧(あお)き国』

海辺に生まれた
私の国
波間を走る
白い馬に導かれ
愛する者はやって来た
これぞわが
美(うま)し国
おお アルメイダ
とこしえに とこしえに
清くあれ

     幕

   *

めぐりあい 秋

木部与巴仁

ながい雲が秋を描くころ
わたしたちはめぐりあう

海が見える
遠い海原
潮騒の歌に
耳を澄ませて

ながい雲が秋を描くころ
わたしたちはめぐりあう

赤く燃える水平線に
とまらなかった
私の涙
しずくになって
波間に溶けた

どこへ行くの?
わからない でも
わたしは生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから