■ 第5回 トロッタの会 〜くちなしの 真白き花に手を伸ばし 物いいたげに微笑む女 湧き立つ思い 抑えるすべを知らず〜 2008年1月26日(土)18時30分開場 19時開演 会場・早稲田奉仕園リバティホール 『緑の眼』2007 作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁 朗読/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 打楽器/鈴木亜由美 『いのち』2007 作曲/Fabrizio FESTA 詩/木部与巴仁 ソプラノ/赤羽佐東子 フルート/高本直 ピアノ/森川あづさ 『冥という名の女』2007 作曲/松木敏晃 詩/木部与巴仁 朗読/木部与巴仁 アルト/かのうよしこ ピアノ/栗田浩平 『ヴァイオリンとピアノによる組曲「都市の肖像」』作品21より 2007 「水の歌が聴こえる」(2008) 「Silent Actress」(2007) 「少年期 コール・ドラッジュの庭」(1999) 作曲/橘川琢 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/森川あづさ 『遺傳』2007 作曲/田中修一 詩/萩原朔太郎 バリトン 木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/栗田浩平 『朗読、アルト独唱、ピアノとヴァイオリンによる詩歌曲「うつろい」』作品22 2008 作曲/橘川琢 詩/木部与巴仁 アルト/かのうよしこ 朗読/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/栗田浩平 『立つ鳥は』2007 作曲/田中修一 詩/木部与巴仁 ソプラノ/赤羽佐東子 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/森川あづさ |
緑の眼 木部与巴仁 一 彼らは何を見る 彼らの眼に映るのは 何 星くずを宿す瞳 彼らは見つめる 彼らだけに見える さまざまなできごと さまざまな風景 深くて遠い輝き 静かで重い光 世界を担うには まだ あまりにも小さな心を 路上ですれ違うたび 想う ついさっきも ひとり 二 うっすら開いた 瞼の奥の 緑の眼 緑の眼を持つ子どもが生まれた 赤ん坊は何も知らず 何も疑わず ぎゅっと 小さな手と足を 握りしめている 眼が緑だから 赤ん坊は いつの日か つまはじきされるかもしれない のけものにされるかもしれない 生まれてこなければよかったのか でも 育てなければ この子は 私たちの子 私たちが 生んだのだから 都会の片隅の 小さな部屋で 家族が祈っていた しかし そんな不安をよそに 生まれていたのだ 人知れず あちらこちらで ひっそりと 緑の眼を持つ子どもたちが 三 あの夜 遠いところで 星が流れたのである 見た人はいない 星は 人の心に透き通る つかもうと手をのばしても すりぬける 指の間を 重たくて深い 大きな闇が 星は飛ぶ 闇から闇へ 心から心へ 人をつらぬく暗がり 時から時へ 生から生へ そして 緑の光だけが残った 子どもたちの眼に 生とともに光り 死とともに消える 夜空の星に似て 四 ひとつ ひとつ またひとつ 小さな影が浮かび上る 午前零時を過ぎた 夜の公園に どこからともなく現れる 緑の眼を持つ子どもたち 親や兄弟に告げる言葉もなく 引かれ合う心のままに 何をするでもなかった 語る言葉もなかった 子どもたちは ただ お互いを確かめたかった 緑の眼で じっと見つめ合いながら 生きていることを 確かめていたかった 五 散歩に出かけた 一匹の若い蜥蜴が 岩山の割れ目で明滅する 緑の星屑を見つけた 生きているな 蜥蜴は思った こいつは生きている どこから来たんだろう 手を伸ばしたが引っこめた 尾をひと振りし 砂をかいて去ってゆく 焦ることはない これから先 話しをする機会は いくらでもあるだろう あのきれいなやつが あそこにいる限り 蜥蜴は 急ぎ足で 恋人のもとをめざした その眼に いつの間にか 緑の光が宿っていることも知らずに 六 多くの人が心をいため 多くの人が血を流し 多くの人が命をなくした そうして過ぎていった 歳月 今では 街をゆく人も 喫茶店に集う人も 電車に乗り合わせる人も 誰もが緑の眼を持っている つまはじきされる不安も のけものにされる不安もない かつて親たちがしてくれた 祈りは 必要なかった 親たちの眼に宿された光の色を 誰もが忘れている 親たちの心を支配した 哀しみも 忘れている 火の手をあげて街が消えてしまったことすら 記憶にとどめる人はいなくなった 夜空を切り裂いた星は 人知れぬ荒地の岩山で 光り続けていた 星が地上にある限り 人は緑の眼を持ち 緑の光を放ち続ける 夜の闇を照らし続ける * いのち 木部与巴仁 湧き立つる 潮(うしお) 紅き そは我が血なり 心の臓にて 聴こゆ ふつふつ たぎる ふつふつと 巌(いわお)そびゆる 峨々(がが)たり 投ぜよ おのが身を ひしがれて死す 悔いず 滅(めつ)せども 誰(た)ぞ知るや またたきの間(ま)に 去来せし 我が思い * 冥(めい)という名の女 木部与巴仁 くちなしの 真白き花に手を伸ばし 物いいたげに微笑む女 湧き立つ思い 抑えるすべを知らず 日傘の陰で 瞳はさらに光る 唇はさらに輝く 肌(はだえ)に散る朱(あか) たちまちに 顔寄せて花を手折らず 食らわんばかりなり 炎(ほむら)さえ舌先に燃え 女の名は 冥 ひとり 生きる その身を与えし男たち 心のうちにすでになく ただ眼前に 花 群がりて咲けり * 遺傳 萩原朔太郎 人家は地面にへたばつて おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。 さびしいまつ暗な自然の中で 動物は恐れにふるへ なにかの夢魔におびやかされ かなしく青ざめて吠えてゐます。 のをあある とをあある やわあ もろこしの葉は風に吹かれて さわさわと闇に鳴つてる。 お聴き! しずかにして 道路の向うで吠えてゐる あれは犬の遠吠だよ。 のをあある とをあある やわあ 「犬は病んでゐの? お母あさん。」 「いいえ子供 犬は飢ゑてゐるのです。」 遠くの空の微光の方から ふるへる物象のかげの方から 犬はかれらの敵を眺めた 遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに あはれな先祖のすがたをかんじた。 犬のこころは恐れに青ざめ 夜陰の道路にながく吠える。 のをあある とをあある のをあある やわああ 「犬は病んでゐの? お母あさん。」 「いいえ子供 犬は飢ゑてゐるのですよ。」 * うつろい 木部与巴仁 古ぼけた柱時計が 満開の桜の枝に 掛かっていたらおもしろい カウンターの向こうから 浜辺の歓声が 聞こえてきたらおもしろい 落ち葉が舞って コーヒーカップに 浮かんだらおもしろい 椅子に腰かけたまま しんしんと降る 雪の気配を感じたらおもしろい 静かに器を洗う音を 今でも憶えている その喫茶店では いつも ひとりの女性が うつむいたまま仕事をしていた 控えめな笑みを 浮かべて ほんのり紅く 頬を染めて [春] 憶えているよ 春になると 桜が咲いたね 花びらが吹雪になって 店いっぱいに舞っていた 季節がうつろう 不思議な喫茶店 今はもう消えてしまった [夏] 憶えているよ 夏になると 海が見えたね 窓の外には水平線 遙かに遠く かすんでいた 天井をつらぬく 八月の太陽 ぼくの心をじりじり焼いた [秋] 憶えているよ 秋になると 木立が燃えたね 散り敷く落葉は炎の形 ランプの灯に照らされて 喫茶店は錦に染まる 歌が聞こえた 誰の姿も見えないのに [冬] 憶えているよ 冬になると 雪が降ったね 白くなってゆく店に マフラーをまいたまま じっと座っていた ぼくはここにいる 時間だけが過ぎてゆく 今はない 街角の喫茶店 いつの間にか 消えていた ぼくは今も この町にいる でも あの人は いない うつろう季節に連れられて どこかへ行ってしまった * 立つ鳥は 木部与巴仁 〈註〉『立つ鳥は』の原詩は、一部が、木部与巴仁著『伊福部昭・音楽家の誕生』(一九九七・新潮社刊)に掲載されました。伊福部氏のご逝去に伴い、徳島県板野郡北島町立創世ホールが発行する「創世ホール通信・文化ジャーナル」(二〇〇六年三月号)の伊福部氏追悼文に、全文を掲載しました。無題でしたが、田中修一氏のご提案により、『立つ鳥は』という題が与えられました。ここに掲げるのは原詩です。完成形は、田中氏による曲目解説をご覧ください。 立つ鳥はみずらに歌いて 天たかく舞わんとす その声 人に似て耳に懐かし 温もりもまた 人に似る 鳥 消ゆ 再び会う日の来ぬを われは知る |