■ 第3回 トロッタの会


〜燃える街角に建つ 一軒の花屋
炎の香りを吸いこんでいる 午前三時〜

2007年5月27日(日)14時30分開場 15時開演
会場・タカギクラヴィア 松濤サロン

『ヴァイオリンとピアノのための舞踊曲』1999
作曲/酒井健吉
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/仲村真貴子

『叙情組曲 日本の小径(こみち)』作品12 1999.2000.2004.2006
Lyrical piano Suite"Japanese alley in my memoly" Op.12
I.瑠璃の雨(2000)
II.夏の栂池[つがいけ](2004)
III.風夢[かざゆめ](2006)
IV.秋を待つあいだ (1999)
作曲/橘川 琢
ピアノ/三浦永美子

『旅』2007
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 朗読/木部与巴仁

『大公は死んだ 付・みのむし』2007
詩・朗読/木部与巴仁

『詩歌曲 時の岬・雨のぬくもり/木部与巴仁「夜」・橘川琢「幻灯機」の詩に依る』作品17 2007
作曲・詩/橘川 琢 詩/木部与巴仁
ソプラノ/成富智佳子 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/仲村真貴子・橘川琢 朗読/木部与巴仁

『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る』2007
作曲/田中修一 詩/木部与巴仁
ピアノ(I)/仲村真貴子 ピアノ(II)/三浦永美子






  木部与巴仁

ある日
旅に出ることになった
取材の依頼が
電子メールで舞いこんだのである
行き先をたずねたが
あっさり
行けばわかるといわれる
発車のベルを聞きながら
あわてて電車に飛び乗った
初めて訪れた
場末にある 古ぼけた私鉄の駅
電車は がたんと音を立て
満員の乗客を乗せて出発する
それが私の
旅の始まりだった

五分経っても
十分経っても
電車は停らなかった
窓の外をうかがうが
駅らしい駅はない
「普通電車……」
「……の原行き」
「お乗り間違えのないよう……」
時折流れるアナウンスは
雑音にまぎれて
よく聞き取れなかった
車内には
一枚の路線図もないのである
むっつりと
押し黙ったまま
運ばれてゆく
男たち 女たち
誰もが知っている
どこへ行くのか
どこへ運ばれるのか
私ひとりが 知らなかった

締め切りが
あったのではないだろうか
おととい あの原稿を出した
次に出すのは あの原稿だ
だから今日は
別の締め切りが
あったのではないだろうか
尿意を もよおしそうだった
今日は朝から
一度もトイレに行っていない
考えないことだ
考えないことなのだ
しかし 私はもうすぐ
行きたくなる
間違いなく
「到着予定時刻は……」
「定刻どおり……」
車内アナウンスが告げている

三十分以上が経った
もしかすると
一時間近くになるかもしれない
「どこまで行くんでしょうね」
我慢しきれなかったのだ
ルールを破るようで
後ろめたかったが
「え?」
スポーツ新聞を読む
三十代半ばの
背広姿の男だった
「いや どこまで行くのかなと思って」
「……の原行きですよ」
「なに……原行き ですか?」
「大丈夫です
ちゃんと着きますから」
救いを求めて周囲を見たが
私たちの会話などなかったような
その場の雰囲気だった

田畑が
広がっていた
初夏らしい
青々とした風景が
窓の向こういっぱいに見える
川を渡るたび
東京が少しずつ少しずつ
遠去ってゆく
またひとつ
さっきも ひとつ
もう 何時間
走り続けているのだろう
時計を持たない私は
時間の海の
漂流者だ
「……普通電車」
「の原行き……」
「……到着は 定刻どおり」
そうだろうと思う

もう わかっている
これはただ 目的地に向かって
ひた走る電車なのだ
だから私も
どこに行くのかたずねた時
乗ればわかるといわれたのだ
旅など
好きではない私が
旅になど
出ようとも思わない私が
ただひとり
電車に乗って
過ぎゆく時間に
身をまかせている
幸いにも 尿意は
やってこない
立ち詰めだが
不思議と疲れは感じなかった

まわりの乗客は
目を閉じて
眠ってしまった
規則正しい揺れが
心地いい
それでも
私はまだ
立ったまま眠るなどできないが
「とうちゃん あれ 何?」
父親の自転車に乗せられ
夜の一本道を行く時
遠くに連なった家々の灯を見て
私は問いかけた
「あれは オートバイだよ」
「オートバイ?」
「列を作って 走ってくるんだ」
その灯が 今も
窓の外に見えていた
「たくさんいるだろう」
「うん」

静かだ
まぶたが 少しずつ
少しずつ
重たくなってきた
旅は続く
ああ
やっと
眠れそうだ

   *

大公は死んだ  付・みのむし

  木部与巴仁

大公は死んだ
雨の降る晩に死んだ
ふくろうが啼いていた
闇が亡骸をついばむ
大公は死んだ
世界を見下ろす
塔の頂で死んだ
空(そら)を切る風の音
大公が死んだ時
妻は恋人のもとにいた
娘は遠い異国にいた
大公の肌をすすぐ女は
もういない
遙か遠く
黒い森にしみだす
いくさの予感
大公は死んだ
悲しむ者はいない
妻は恋人に殺された
娘は異国で殺された
滅びの鐘が鳴っている

   ◆

石造りの部屋で
男が 死ぬ
私はじっと見ている
一匹の みのむし
黒いからだで
みのを出たり入ったり
口を開けたまま
男はひからびてゆく
私は翅(はね)を負い
この部屋を出てゆく

   *


*「夜」「幻灯機」の二篇の詩に依り、
『詩歌曲 時の岬・雨のぬくもり』が作曲された。

  木部与巴仁

午前三時
誰に 会おうとしているのか
いてつく路上でねじれてしまった
練り歯磨きのチューブ
しぼりつくされて

目の前を横切る 狼
黒いたてがみが
夜風になびき
噛み砕かれた赤信号
何をめざして 駆けるのか
午前三時の 街

燃える街角に建つ
一軒の花屋
炎の香りを吸いこんでいる
午前三時

午前三時の路上をゆく
私たちの葬列
この街に 砦はいらない
満月だけが知っている
うち捨てられた心は
かけらとなって ふるえた
午前三時

時の岬に立つ

   ◆

幻灯機

  橘川琢

足音とける 雨の夜
街行く影も 去りゆきて
午前三時に 降る雨は
時の幻 映し出す

時間の中に 残されて
さびしくほほえむ 姿見た

二度と会えない あの人の
やさしいまなざし 残り香は

この思いが 降る雨に
うるむ姿が 雨音に
私の影も 時の中
雨に映る 幻に

戻らぬ影に 幻に
いつの日か

思い出つつむ 雨の夜
街行く影も いまはなく
午前三時に 降る雨は
時の幻 映し出す

(夜明けを一人 手のひらに
そっと受け止め いつくしむ
……雨のぬくもりのなかで)

   *

亂譜

  木部与巴仁

街 焼き尽くさば 瓦礫なす 荒れ野なり
見たし と思へど
街のさま すでに
瓦礫なりや
われ ひとともに
あてどなく
往き来する か

心 乱る
ひとり居(い)に 交わりに
問へど その故 くらし
身を割く
ひびわれの道に似て
割けと ひたすらに
乱る か

白々明けの街に 
寂しき 靴音響く
あてどなし 影を追ひ
ひたすらに 往く 
山となり おびただしく積む
心写しの 瓦礫
疾風たち 白き頬に
ひと筋の血 にじむ
あざやかなり 赤