■ 第2回 トロッタの会

〜蜘蛛にだって歌はある でも今はじっとしているだけ〜

2007年3月25日(日)14時30分開場 15時開演
会場・タカギクラヴィア 松濤サロン

『唄う』2005/2007
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ソプラノ/西川直美 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子

『ピアノのための舞踊的狂詩曲』2001
作曲/酒井健吉
ピアノ/今泉藍子

『町』2007
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ソプラノ/西川直美 アルト/かのうよしこ ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子 朗読/木部与巴仁

『鼠戦記』2007
詩・朗読/木部与巴仁

『ヴァイオリンとピアノのためのエグログ』1991/1997
作曲/田中修一
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子

『雪迎え 蜘蛛』2006
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ソプラノ/西川直美 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子 朗読/かのうよしこ 朗読/木部与巴仁



唄う
  *実際に唄われる詩とは、若干の相違があります。

  木部与巴仁

誰のためでもなく
何かのためでもない
私はただ
音楽の神を想って唄う
どこかにきっといる
音楽の神に
頭を垂れ
素直な心をもって唄う
きっと聴いてくれる
聴いてほしいと願い
それが唯一
私が素直になれる時
素直になりたくて
唄うのだ
心を開き 身をあずけ
よこしまさのつけいる隙もなく
夢中になって
唄いたい だから
誰のためでも
何かのためでもなく
ただひたすらになりたい
だから
歌を 歌を心からの歌を
求めて

   *



  木部与巴仁

ざぶり
ざぶり
聞こえている
ざぶり
ざぶり
いつまでも
いつまでも 聞こえている
波の音

その町は
消えてしまった
堤防の上からながめると
頼りなげな
いちじくの木が一本
何の都合か
取り壊しをまぬがれた家が一軒
残っていた
あとは一面の草はら
家の跡にも
道路にも
青い草が 生い茂っていた

ざぶり
ざぶり
ざぶり

作られた町だった
午後五時になると
工場のサイレンが 空に
響き渡る
八百人の従業員を抱える工場が
昼の仕事を終わらせ
夜の仕事を始めさせようと
鳴らす 無理やりな合図
それが 町のどこにいても聞こえる
工場のために
海辺の片隅に
作られた町だった
家々を立ち退かせ
木を切り
畑をつぶして

ざぶり
ざぶり

角を曲がれば
道が続いて人の家があった
種をまいて水をやり
朝顔や向日葵を育てる庭があった
垣根からのぞくと
テレビの画面に見入る
友人の姿があった
木が生い茂って実をつけ
燕が渡ってきて
雛を育てていた
人々には そこで思うことがあり
知ることがあり
経験することがあった
しかし

ざぶり
経営規模の縮小
ざぶり
人員の削減
ざぶり
合理化 そして 海外事業所の拡大
ざぶり
ざぶり

町そのものが
消えてしまっている
私の目の前で

そこはもう
草はらだ
人が暮らそうにも
頼るものがない
思いをめぐらそうにも
手がかりがない
訪ねてゆこうにも
人がいない
今は誰が
あのサイレンを聞いているのか
堤防に寄せる
波の音だけは
変わらないのに

ざぶり
ざぶり
この世が生まれてから
ずっと
変わることのない音
ざぶり
何が起ころうと
誰がどこに住もうと
ざぶり
ざぶりと
聞こえている
変わることのない音が
聞こえている

   *

鼠戦記

  木部与巴仁

召集令状が届いた時
彼は一匹の鼠だった
恋人と寝ころんで
春の陽射しを浴びていた
傍らには 乳離れのしない
赤ん坊が八匹
血の味でもするのかな
令状をかじってみたが
ほこりっぽいだけだった

彼は戦地に向けて歩き出す
そのとたん 道路を横切る
一匹の雌鼠に逢った
そんなところにいては危ないよ
このへんは猫が多いんだから
声をかけると 相手も心得たもの
ビルの隙間に案内してくれた
弱ったな 戦争に行くんだよ
しかし
これくらいは許されると思うのだ

翌朝 再び戦地に向かった
すぐに 配水管の割れ目で光る
つぶらな瞳を見つけた
こんにちわ 初めて会うね
あなた 戦争なんでしょう
もう 帰ってこられないんでしょう
頷きながら 配水管に身をすべらせる
思ったよりも清潔だった
この世の名残りに
身を預けてもいい場所だった

ごみ袋から人参を引きずり出し
かじりながら戦地をめざした
わけてちょうだい
振り返ると
年増な雌鼠が立っていた
うちの子たちが待ってるし
亭主も腹を空かせてるんだよ
いいけど 皆さんどこですか
年増はいきなり しゅんとなる
ほんのひとかけらでいいのさ
会話はもう 必要なかった

鼠たちの戦争は
きわめて激しいものとされる
かじり 噛みつき
引っかき 引き裂いて
最後の一兵になるまで闘う
闘いが終わった跡には
ぼろぼろの皮が散乱し
目を覆う惨状だというのだ
もっとも 見た者はいない
鼠の戦争について語るのは
鼠以外の者である
闘いがそれほどに激しいなら
生き残って
誰が証言できるというのか

戦争はどこですか?
車座になって 数匹の鼠が
博打をしていた
片耳のない者 目のつぶれた者
尻尾のちぎれた者など
誰の身体も 必ずどこかが欠けていた
戦争? そんなもの!
吐き捨てた鼠には 鼻がなかった
それより金を貸してくれ 一文無しだ
顔を寄せ ささやく者があった
片方しかない足で 器用に立っている
ひどい姿だろう 戦争はなくても
生きているだけで傷を負う
声をかけたのは 誰であったか
どう返事をすればいいかわからず
黙ったまま 彼は
その場を後にした

結局 戦争は行われなかった
召集令状を受け取りながら
定められた時間と場所に
鼠たちは 誰も
姿を現さなかったのである
兵士はもちろん 将軍さえも
鼠には 戦争より
もっと大切なことがあるらしい

彼は恋人のもとに帰った
元気のいい 赤ん坊の声がしている
お帰りなさい 戦争はどうだった?
ざっと数えると 七匹いた
そんなもの どこにもなかったよ
恋人は 乳をふくませるのに懸命だ
よかったね 死なずにすんで
彼は黙ってうなずいた
ご苦労様 ゆっくりやすみましょう
ああ ありがとう
しっかり目を閉じた赤ん坊が
おぼつかない足取りで這い寄ってくる
少しも 彼には似ていなかった

春の陽射しがあたたかい
次に召集令状が届いた時
彼はもう 鼠ではなかった



雪迎え/蜘蛛

  木部与巴仁

  0

冬の気配が
間近に感じられる
よく晴れた 秋の一日
蜘蛛の子どもたちは
そろって糸を風に乗せ
小さな体を舞い上がらせる
母親のもとで 仲よく
一緒に育ってきた兄弟の 旅の始まり
雪降る季節の訪れに重なることから
それは人々によって
雪迎えとも呼ばれている

  1

さあ もう行くんだよ
誰の合図を待つでもなく
ぼくたちは一斉に糸を撚(よ)り出す
風に乗ってするする伸びる
蜘蛛の子の糸
だんだん体が軽くなり
糸の端が
見えなくなったと思ったとたん
ふわりと 宙に浮いた
遠く 遠くなってゆく ふるさと
母さん ありがとう
手を振って そういいたかったけれど
母さんは背中を向けて一生懸命
網を張っていた
どうして?
母さんの網《あみ》はきれいだ
どこも 破れてなんかいないのに
さようなら
さようなら みんな
さようなら 母さん

  2

もう 忘れてしまった
わたしはいつ
この土地にやってきたのか
どこから やってきたのか
あの子たちの父親と
いつ どのように知りあったのか
今日 子どもたちが 行った
なぜだろう
私も子どもたちも知っていた
今日が 旅立ちの日だということを
二度と会えない
別れの日だということを
私もやっぱり 糸を風に乗せて
この土地にやってきたのだろうか
あの子たちと同じ
小さな小さな年ごろに

  3

水の流れる音がする
あたりは一面の 草はら
どこだろう ここは
あれから どのくらい経ったんだろう
風に乗って くるくる舞って
逆さまだよ これじゃ
ずっと逆さまだよと思っているうち
ぼくは ここに来ていた
近くに川があるみたい
今日からは ひとりだ
母さんも みんなも
どこにもいない
ひとりぼっち
おなかが空いた 食べる物 どこ
何にもないや
こんな時に 母さんがいてくれたら
寒いな
母さん どこ
何を食べたらいいの

  4

胸騒ぎを抱えながら 生きてきた
ひとつ解決したと思ったら
また 胸騒ぎが起こる
やっと解決したと思ったら
また 胸騒ぎが起こる
終わりのない 不安な日々
変だ 繕(つくろ)ったはずの網が 破れている
子供たちは どうしているかしら
今ごろは もう……
あんなにたくさん いたのに
誰もが偶然にすがってしか
生きていけない 母さんだって
考えているのは
もう あなたたちのことじゃない
ああ 考えたくない
考えれば また苦しむだけ
私の網に
獲物はいつやってくるのだろう

  5

雪だ 雪だ
雪が降る 雪が降るよお
鳶《とび》が 唄いながら飛んでいる
草はらをかすめる 大きくて黒い影
鼠の家族が
もう 何度もさらっていかれた
あの蛇(へび)も 蜥蜴(とかげ)も
早く冬眠していればよかったのに
雪だ 雪だよお
おれは耳を閉ざす かたく
顔を上げた時
鳶(とび)はもう 目の前にいるだろう
戻ってきたやつなんか いやしない
雪だ 雪だ
もうすぐ 雪が降るよお
蜘蛛にだって 歌はある
でも 今は じっとしているだけ
あの鳶とびが いなくなるまで

  6

母蜘蛛が 眠っている
網《あみ》の上で 静かに 脚を広げて
冷たく 澄んだ風が
雪の気配をはらんで
蜘蛛のからだをなでている
おだやかだった
何も考えないでよかった
心を
空っぽにしていられることの幸せが
ぐっすり 蜘蛛を眠らせていた
網《あみ》が 揺れている
年老いた黄金虫が
糸に身をからませていた
思い出したように体を動かしたが
逃げる気力もなかった
しかし 母蜘蛛は 眠ったままだった
ずっと 眠り続けてもよかった
安らかな 永遠の世界が
すぐそこまで来ていた

  7

日暮れとともに降り始めた雪は
時が経つにつれ
 その勢いを増していた
真っ黒な空から絶え間なく
大粒の白い実が 落ちてくる
雪は 地上の風景を一変させる
野も山も 川も池も 木々も草はらも
厚ぼったく化粧され
 沈黙してしまった
蜘蛛は どこにいるのだろう
彼らがこの雪を 呼んだはずなのに
糸を風に乗せて旅立った
あの子どもたちが
雪を招いたはずなのに
冬は まだやってきたばかり
雪の中の生活が始まった
その先のことは 誰にもわからない
蜘蛛の行方も 誰も知らない