■ 第1回 トロッタの会

〜ひよどりは翔んでゆく どこまでも どこまでも〜

2007年2月25日(日)14時30分開場 15時開演
会場/タカギクラヴィア 松濤サロン

『朗読、ソプラノ、ヴァイオリン、ピアノのための「トロッタで見た夢」』 2005/2007
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ソプラノ/西川直美 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子 朗読/木部与巴仁

『ヴァイオリンとピアノのための狂詩曲』 2006
作曲/酒井健吉
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子

『祈り 鳥になったら』 2007
詩・朗読/木部与巴仁

『立つ鳥は』 2007
作曲/田中修一 詩/木部与巴仁
ソプラノ/西川直美 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子

『朗読とヴァイオリンとピアノのための「ひよどりが見たもの」』 2006
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/今泉藍子 朗読/木部与巴仁



トロッタで見た夢

  木部与巴仁

『もっとはやく
あなたに会っていればよかった』
目の前の女がつぶやいた
若いとはいえない、
それどころか母親のような年齢の
私に向き合った女のつぶやき

ガラス越しに見える、港の風景
錨を巻きあげた船が
白い航跡を描きながら、
出ていこうとしている
女の言葉を思い返しながら
私はその風景を、ぼんやりと見ている

ここは新橋にあるレストラン
「トロッタ」
港の見える古びたレストラン
灰色の空に覆われた、冬のある日
ぬかるんだ道に足をとられながら
あてもなくたどりついた私を
女は待ちわびていたのである
いったい、いつから?
切なげな目に誘われて、
私は窓辺の椅子に腰かけた

『どうしてもっとはやく、
来てくれなかったの』
そういわれても、戸惑うしかない
『待ってたのよ』
しかし、私は今日、
初めて女に逢ったばかり
過ぎ去った日々の女たち
その面影を、
目の前の顔に重ね合わせてゆく
無駄なことだと知りながら

いらっしゃいませ
蝶ネクタイをしめた、
無表情なボーイの声
彼の眼に、私たちは何と映っているのか
スミノフを
とっさに出た声だった
『あなたはいつも、そのお酒ね』
私はただ、
早く立ち去ってほしかっただけなのだ

歓声があがった
フロアの中央に据えられた
見上げるほど巨大な花瓶
蒼い草が茂るその中央から
次々に氷の塊がわき出てくる
それがふわふわ飛んで
客の頭上をさまよい始めた
のばした手が氷の中に埋まり
つかんだと思ったとたん、
音もなく消える
いつ果てるとも知らない騒々しさを
ぼんやりとながめる、私

『ばかなことしてみたいわね』
港の風景が、
どうして新橋から見えるのか
『帰りたくないのよ』
あんな大きな氷が、
どうして宙に浮いているのか
『私ったら、こんなになっちゃって』
女の言葉を聞きたくなくて
視線をそらしてしまう
心がどこかにいってしまった
ここにあるのは、私のからだ
ぬけがらのような、からだだけの私
女がまだ、何かいっている

その店の名は、「トロッタ」だった

   *

祈り 鳥になったら

  木部与巴仁

鳥になったら
わかると思っていた
人はなぜ 哀しいのか
人はなぜ 疑うのか
空を飛びながら
風を切りながら でも
わからなかった

鳥になったら
わかると思っていた
人はなぜ 憎むのか
人はなぜ 争うのか
朝に舞いながら
星に浮かびながら でも
わからなかった

鳥になったら
わかると思っていた
人はなぜ 求めるのか
人はなぜ 苦しいのか
花と遊びながら
月と語りながら でも
わからなかった

鳥になったら 私は
人を愛せると思った
心から やさしく
鳥になったら 私は
人を好きになると思った
へだてなく いやしたい
鳥になったら 鳥になったら
私はもう 人じゃない
せめて このさえずりが
届くようにと
昨日も 今日も 明日も
歌う
ただ それだけ

鳥になったら
わかると思っていた
人はなぜ 祈るのか
憎み合いながら 傷つけ合いながら
喜びと 楽しみの陰で
人はなぜ なぜ
やっぱり 私には
わからなかった

   *

立つ鳥は

<註>『立つ鳥は』の原詩は、一部が、木部与巴仁著『伊福部昭・音楽家の誕生』(一九九七・新潮社刊)に掲載されました。伊福部氏のご逝去に伴い、徳島県板野郡北島町立創世ホールが発行する「創世ホール通信・文化ジャーナル」(二〇〇六年三月号)の伊福部氏追悼文に、全文を掲載しました。無題でしたが、田中修一氏のご提案により、『立つ鳥は』という題が与えられました。完成形は、田中氏による曲目解説をご覧ください。

  木部与巴仁

立つ鳥はみずらに歌いて
天たかく舞わんとす
その声 人に似て耳に懐かし
温もりもまた 人に似る
鳥 消ゆ
再び会う日の来ぬを われは知る

   *

ひよどりが見たもの

  木部与巴仁

「夜あけ」

夜がささやく
もう行くから また明日
朝がささやき返す
おはよう 元気だったかい
時が去り、時が来(きた)る
移りゆく時のはざまで
羽の衣に包まれ
じっと 目を閉じている
一羽のひよどり

朝露にしっとり濡れた私の翼
もう少し眠っていたい
誰にも邪魔されない ねぐらの中で
静かだな
風はもう 吹いていない
静かだな
雨ももう やんだみたい
怖かった 昨夜の嵐
何もかもが吹き飛んで
この世の終わりが来たかのような
春の嵐だった

羽の音が聞こえた
誰かが飛び立った
また羽の音が聞こえた
誰かがどこかへ飛んでゆく
まだ暗いよね 暗いはずなのに
きらきら星がとけてゆく
黄金色(こがねいろ)の光が
  夜のとばりを押し上げて
朝の訪れを告げている
さあ 起きなさい
新しい一日の始まりだよ
どこかで聞こえる 朝の声
まだいいでしょう まだいいよね
私はもう少し 眠っていたい
この木の上で じっとしていたい
でも また誰かのはばたきが
もう 夜が明けるのかな

「翔びたがりの子」

あの子は翔びたがり
どんどん翔んで 気がつくと
すごく高いところにいる
どこまで翔ぶの 危ないよ
どこまで翔ぶの 帰っておいで
知らん顔して翔んでいる
夢中になって翔んでいる

ここまで翔べたよ
ここまでおいで
ついこの間 爽やかな風が吹く日に
巣立ちをしたばかりの 小さな子
こんなに翔べた 見てごらん
ほら、まだまだずっと翔べるんだ
その子がもう あんなに元気よく
羽を広げて翔び回っているなんて

子どものころは 誰もがみんな
そうしたいから
ただそれだけの理由で
何も考えず 前だけ向いて
力いっぱい 翔び立った
そんな子どものころが
懐かしい

あの子はほんとに 翔びたがり
いつでもどこでも
疲れも知らずに翔んでいる
怖がりもせずに翔んでいる
どんどん翔んで いつの間にか
あんなとこまで行っちゃった

「おかあさん、ごはん」

かあさんは忙しい
翼を休める暇もない
子どもたちが呼んでいる
おかあさん、ごはん

かあさんはたいへんだ
まぶたを閉じる暇もない
子どもたちが啼いている
おかあさん、ごはん

かあさんは知っている
喧嘩するのは丈夫な証拠
子どもたちがもう笑った
おかあさん、ごはん

かあさんは夢に見た
恋していた娘のころを、でも
子どもたちが待っている
おかあさん、ごはん

かあさんはうれしいよ
みんなが元気いっぱいで
子どもたちが目を覚ます
おかあさん、ごはん

かあさんは今日も飛ぶ
風を切ってまっすぐに
子どもたちが好きだから
子どもたちが愛しいから
それが私のつとめだから
おかあさん、ごはん

「ひよどりの恋」

なぜかしら 胸が痛くなる
あの声が聴こえると
なぜかしら 飛んでいきたくなる
あの声が聴こえると
なぜかしら

いつからだろう
こんな気持ちになったのは
心の奥が盛り上がり
頭の中がざわめいて
あまずっぱい香りがからだに満ちる
いつからだろう
こんな思いに包まれたのは
遠い遠いところから
春の風がわたってくるころ
陽の光がきらめき出すころ
気がついたら 恋してた

私だって恋をする
みんなにいってあげたい
私だって恋するのよ
聴いてちょうだい
美しい あのさえずりを
たくましい あのはばたきを
見えるでしょう
風に乗って飛ぶ
かんむりが風を切る
あの颯爽とした姿
見る見るうちに見えなくなって
手の届かないところに

彼には恋人 いるのかな
きっといるよね だって
あんなにかっこいいんだもの
この間まで子どもだった私より
ずっとすてきな恋人が
誰も放っておかないわ
あんなすてきなひよどり だって
あんなに男らしいんだもの
私なんか 近寄ることもできない
何もいえずに 遠くから見ているだけ
それでもいいのかな いいんだよね
本当にそれでいいの
いいじゃない だって
あんなにかっこいいんだもの
どこにいるのかな 彼の恋人

胸が痛くなる
あの声が聴こえると
飛んでいきたくなる
あの声が聴こえると
小さな小さな ひよどりの恋

「あの山の向こう」

今日も私たちは飛ぶ
ビルの谷間を コンクリートの斜面を
ガラスに姿を映し
ベランダで翼を休めて
今日も私たちは飛んでゆく
自動車を追いかけ 電車と競争し
看板をながめ
いろんな音を聴きながら
アスファルトに覆われた
黒い地面の上を飛ぶ
私たち 都会のひよどり

まだ小さかったころ
母さんがいった
ずっとずっと昔 私たちひよどりは
あの山の向こうに暮らしていたのよ
みずみずしい緑に囲まれて
山のこだまを聞きながら
静かに静かに暮らしてた

都会にも、たくさんの生き物がいる
仲のいい鳥たち、獣たち
仲の悪い鳥たち、獣たち
それにもちろん、人間も
でもあの山の向こうには、
もっとたくさんの生き物がいた
熊さん、鹿さん、
猿さん、兎さん、鼠さん
それに、都会にはいない
  たくさんの鳥たちも
でも それは母さんも知らない
ずっとずっと昔のこと
思い出す 母さんの声

からすに聞いてみた
ねえ 山の向こうって、どんなとこ?
知らないよ
すずめに聞いてみた
ねえ 山の向こうって、どんなかな?
知らないわ
はとにも聞いてみた
ねえ 山の向こうって、知ってる?
黙って飛んでっちゃった

公園の木にあがってみた 見えないな
マンションの屋根にあがってみた
見えないな
ホテルの屋上にあがってみた
でも見えないな
いつもは怖いと思う
高層ビルにあがった
吹き飛ばされるくらい
強い風が吹いてくる方を眺めた
家が続き ビルが続き
人も車も、何もかもが小さくなって
すっかり見えなくなってしまうところ
空と地面の間に
深い深い青い影が
波打つように続いている
私たちの街を、遠くから囲むように
どこまでも続いていた
白い雲が立ちのぼる 山のうねり

いつか行ってみたい 山の向こうに
どうすれば行けるの 山の向こうに
母さんも知らない 山の向こうに
遠い遠い 山の向こうに

「木が死んでゆく」

木を切らないで お願いだから

あの木たちは 私の友だち
翼を休める時
雨宿りする時
夏の暑さや冬の寒さを避ける時
あの木たちは私を助けてくれた
木を切らないで お願いだから

身を寄せると 話してくれる
これまでずっと 見たり聞いたりした
いろいろなこと さまざまなできごと
やさしい声で 聞かせてくれる
この土地で 何があったか
この土地で 何が行われたか
あの声が聞けなくなると 私は哀しい

木が切られてゆく
あの悲鳴は機械の音じゃない
木があげる 最期の声
長い時間を生きてきた
あの木たちが痛がってる
あんなにみずみずしいのに
あんなにたくましいのに
あんなに豊かなのに
あんなにやさしいのに
枝を落とされ 葉を落とされ
引き倒されて 丸裸にされる
なんて惨めなの なんてむごい
なんて哀れで 哀しい姿

大丈夫だよ
私たちは決して死なない
私たちは花を咲かせて実をつけ
風に乗って種を蒔き
こことは違う別のところで芽を出す
幹をのばして枝を張り
葉を繁らせて花を咲かせる
そうして永遠に 生きていくんだから
心配しないで 泣かないで
きっといつか また会える
どこかで どこかで きっとまた

木を切らないで お願い
あの木たちは ひよどりの友だち
翼を休め雨宿りし
暑さや寒さを避ける時
私たちひよどりを助けてくれたの
木を切らないで
お願い お願いだから

「あの星をめざして」

夜空に輝く一番星
群青の空に浮かび上がる
宵の明星
ひよどりが翔んでゆく
かんむりで風を切り
くちばしを伸ばし
翼に風をはらませて
まっすぐに翔んでゆく

楽しかったかい
辛いことがあったね
哀しいことも
でも 時には歓びもあった
どんなことにも向き合って
せいいっぱい生きた
そういえるきみだから
胸を張って翔んでおくれ

また逢える日が来る
きみのことは きっと忘れない
心に刻まれた たくさんの思い出
また逢おうね その時を楽しみに
待っていてほしい どこかで
あの星をめざして
どこまでも翔んでゆく
一羽のひよどり