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秋葉原Mac道<ロード>

街



雑誌「東京人」(1999年9月)に発表した原稿の、無修正版であり、増補版である。
発表時とはすでに異なる情報がある。例えば文中で紹介する五州貿易は、神田明神下交差点近くに移転した。
さらに2000年の暮れからだろうか? 秋葉原エレクトリックパーツの2号店が東京ラジオデパートの地下に移転。
あれあれと思っていたら、マクサスアップグレードサービスも2001年1月にショップと工房を合体。
さらにCompuAce金町店は、マザーポップコーン金町店と名を改め、京成小岩店、竹の塚店と並行して営業中。
そうした事実の推移も含めて、今後、原稿自体を変化・増幅させていく予定だ。
<2001.2.1更新>


IIci函
都内某所で見つけたIIciの函


AKIHABARA
オールドマックの魅力
拾うもの、捨てるもの
改造ということ
古きを知って新しきを……
新宿、その他の街
赤き血のマック
輪廻転生



AKIHABARA
路地写真
 自動ドアが開いて、紙袋を両手に下げた男が店に入ってきた。
 ぼさぼさの髪に、黒縁の四角い眼鏡。うっすらと浮いた無精髭。お世辞にも上等とはいえないシャツを着こんでいる。
 男は立ち上る煙をかき分けながら、テーブルの間をゆっくりと歩き出した。満員で、空いているテーブルなどひとつもないこの喫茶店で、人を探している様子だ。
 眼鏡の奥から、分別するような目つきで、テーブルについた客の顔をひとつひとつ見分けてゆく。近視だろうか。煙草の煙が眼にしみるのか。しきりにまばたきを繰り返している。
 体のねじが緩んでいるのではないかと思われるような、ぎごちない歩き方。袋を持っていなければ右手と右足が一緒に出そうだ。それに、袋を持った指。さぞ重かったのだろう、紙袋の紐に食いこんだ指は、すっかり白くなって固まっている。スマートからはほど遠い、男の外見。年齢は、三十歳代の、半ばだろうか。
 男は、店の中央で立ち尽くしていた。
 次第に、男の顔に不安の影が差してゆく。目当ての顔が見当たらないらしい。たまの休日、重い荷物を下げてはるばるやってきた努力が、無駄になってしまうかもしれない。このまま何の収穫も得られず、もと来た道を帰らねばならないのか。その惨めさが、心をよぎったのであろう。
 真新しい紫煙が一筋、男の鼻先に上った。その時、私は椅子から立ちあがった。
 「お待ちしていました。鈴木さん、ですね?」
 男は両の眼をせいいっぱい開き、唇を上下左右に割ってにっこり微笑んでみせた。思いの外、子供っぽい笑顔。健康そのものの歯が、ずらりと並んでいた。
 意地が悪かっただろうか。何となく、素直になれなかったのだ。
 鈴木は袋から中身をとり出し、テーブルの上に並べてゆく。注文を取りに来たウェイトレスなど、まったく眼中にない。ただでさえ狭いテーブルをたちまち埋め尽くし、ウェイトレスは水の入ったコップを置くこともできず、途方にくれている。
 「これがお話ししたPowerBook150の完動品です。筐体にはちょっと傷がありますけどね、動作には問題ありません。それからこれがロジックボード。掃除はしておきました。トラックボールはこの箱の中に入っていて、ええ、十個でしたよね。それでこっちが、予備の液晶で、ドット落ちのない方がこれ、少しあるのはこっちで……」
 私がウェイトレスにコーヒーを注文したことなど、鈴木は少しも気づいていないだろう。依然として、袋の中に手を突っこんでは出し、突っこんでは出しを繰り返している。
 隣の席の客がちらりと私たちを見たが、すぐに視線をそらした。何をしているのかわからないのか。それとも、興味がないのか。いや、私たちの哀れさに、正視するのが耐えられなかったのだ。ここにも病んだ人間が一組いる。マックに取り憑かれた男たち。哀れだ。まだ、若いのに。こんな屑のようなパソコンを、いったいいくらで売り買いしようというのだ……。
 秋葉原には、私たちのような男が跡を絶たない。

階段写真
 街は生きている。街は息をしている。朝になると目をさまし、夜になると一日の疲れを安めようと、眠りにつく。街は人によって生まれ、作られたにもかかわらず、やがて成長し、人の手を離れて、一人で生き始める。いつも見ていたはずの街角の風景が、知らぬ間に一変している。街角の建物が取り壊されて更地になった時、ほんの数日前まで、そこに何を見ていたか、もう、思い出せない。そのことに気がついて、自分で自分に愕然とする。誰にも共通する経験だろう。人のことなど知らぬげに移り変わり、生き変わる、街という生き物。おそらくは、この世の、どんな街にも共通するその事実。中でも秋葉原には、そのことをひときわ強く感じる。
 電脳都市、エレクトリック・シティ、パソコン・タウン……。秋葉原に冠せられた異名、その一部である。歓楽街が歌舞伎町。劇場街が有楽町。ファッション・タウンが青山。官庁街が霞ヶ関。学生街が御茶ノ水。東京にある、数々の、性格の明らかな街。秋葉原もまた、電気の街、パソコンの街として、はっきりとした顔を持っている。
 JR秋葉原駅を出てすぐ目に入るのは、高架下に密集した、電気部品を売る小さな店。売場面積は人ひとりがやっと入れるくらいだろう。戦後の闇市とはこうであったかと思わせる人いきれだ。素人が足を踏み入れても、何が何に使われるのか、さっぱりわからない。さらに、休日には歩行者天国となる、道幅の広い中央通り。道の左右には、大きな店構えの量販店が連なる。家族連れや外国人旅行者など、店の名前が印刷された紙袋を持って、大勢の人が右往左往している。なかなかのにぎわいだが、本当におもしろいのは、その背後に広がる細長い地域。JR秋葉原駅周辺から、営団地下鉄銀座線の末広町駅あたりまで。南北約二キロにわたるその地域は、人や店や品物のカオスといっていい。るつぼとも形容できる。敗戦後、軍の払い下げ物資を露店販売することでスタートした、電気の街、秋葉原の歴史。高度経済成長の波に乗って拡大するが、景気の停滞から、冬枯れの季節もあった。それが、パソコンの普及によって再び盛り返し、今日の隆盛を見せている。おそらくは、東京にあって、最も外国人に出会う確率の高い街でもあるだろう。
 一口に秋葉原というが、その中心となる地域は中央区の外神田。中央線が御茶ノ水駅から神田駅に向い、総武線が御茶ノ水駅から秋葉原駅に向う。その二本の線路をはさんで、西南の方向には、古本街の神田神保町がある。電気街の外神田、古本街の神保町。いずれも、神田明神を土地の神として崇める地域である。電気と古本。まったく性格の異なるものをめぐって、たくさんの人が、国内はもとより海外からも訪れる。初心者から専門家まで。ビギナーからマニアまで。古本も電気製品も、この二つの街を訪れないでは、お話にならない。インターナショナルなレベルで、神田という同一エリアで近接しているという事実。祭神の平将門も、祭られた時には予想もできなかったであろう状況が、神田の土地に現れている。


オールドマックの魅力
路地写真
 総武線の列車が秋葉原駅にすべりこんでゆく。その時、左手の車窓から見下ろすことになるのが、東京ラジオデパート。一九九八年には創立五十年を祝った、秋葉原の歴史そのものようなテナントビルだ。六階建ての建物には、五十五の店が入っているという。〃東ラジ〃の愛称で親しまるこのビルの地下に、秋葉原エレクトリックパーツはある。
 ビルの1階中央に、地下へ下りてゆくエスカレーターがある。それに乗って二、三秒で、人は中古ショップ、パーツ・ショップ、ジャンク・ショップの世界にたどりつく。地下の壁に沿って並ぶ、ささやかな面積の店、店、店。エレクトリックパーツはそれらの中でも、人の口に上る頻度がとりわけ高い。
 エレクトリックパーツの壁にびっしりと重なっているのは、ほとんどすべて中古のMacintosh、マックである。マニアの間で人気の高いPlus、SE/30など、コンパクトマックと呼ばれる機種が置かれている。一九八四年に発表されたMacintosh。その歩みの一端に、エレクトリックパーツではじかに触れることができる。ちなみに、マックを開発しているAppleコンピュータが創立されたのは、一九七六年のこと。マック以前の歴史を飾る、AppleII Gsなどの機種も、エレクトリックパーツには並んでいる。
「アップルのコンピュータが日本でも発売されるようになると、秋葉原のあちらこちらででデモンストレーションが行われるようになって。その画面を子供のころ、食い入るように眺めていたんです。夢のようなできごとでした」
 売場に立つ水戸部光一さんが語ってくれる。秋葉原エレクトリックパーツは、東京ラジオデパートに本店が、少し離れた昌平小学校の近くに、2号店がある。どちらの店も、中心はオールドマックである。
 「国産のコンピュータを売る店とは、空気が違ったんですよ。マシンが発する空気というか。マック本体にモニタなどを合わせて買えば数百万円しました。それをやっとの思いで手に入れて、延々とローンを払い続ける。車一台より高価な感覚がありました。それでも欲しいと思わせる何かが、マックにはあるんですね」
 水戸部さんの周りのマックは、その夢の名残か。いや、決して覚めることのない、夢そのものなのだろう。
階段写真
 スティーブ・ジョブズと並び、アップル社を創業した人物として名高いスティーブ・ウォズニアック。その通称WazのサインがあるII Gsがさりげなく置かれている。私がそれをいうと、ああ、それはよくあるものですからと、水戸部さんはこともなげに応じた。確かに、しばしば見かけるものではあるのだが、やはり目の前にそれがあると、つい言葉に出したくなるもの。しかし、水戸部さんは動じない。言葉の端々に年期が入っている。珍しいものなど何もないという様子だ。
「私自身、子供のころの高揚感を保ち続けたくて、秋葉原で働き出したんです。勤め始める前から、このお店には通いつめていましたから」
 羨ましいと、一瞬、思ってしまう。売り物だから私物と一緒にはできないが、確かにオールドマックには、それに囲まれているだけでいいと思わせる魅力がある。私も水戸部さんのように、マックに囲まれていたい。もちろん、マックはパソコンだ。使わなければ、使えなければ、意味はない。しかし、使わなくてもいい、部屋に飾っておくだけでいいからとにかくほしい、マックだけは、人をしてそんなふうに思わせてしまう。その思いが高じて、私も一時期は、三十数台のマックを所有していた。そんなにあっても使えないだろう。第一、どんなふうに置いているの? 何度も人にきかれた。しかし、買い始めるときりがないのだ。きりがなくなるとことまで自分を追いこみたいのだ。
 こうしている間にも、次から次へと人が訪れる。買えなくても、見ているだけでいい。もう動かすこともできなくなったジャンク品でも、家に置いておくだけでいい。そして少しでも可能性があれば、自分の手で動くようにしてみたい。そんな思いにかられた顔が、現れては消え、現れては消え……。
 彼らは壁に積み上げられたマシン本体だけでなく、ガラスのカウンターに並べられ、収められたパーツ類、メモリやハードディスクにもすばやく眼を走らせてゆく。目当てのものがなければすぐに次の店へ。気になるものがあればじっとにらみつける。ほしいものがあれば、おれたちに明日はないとばかり、すぐさま財布の紐を緩める。しかし買うか買うまいか決心がつかず、店の前をうろうろしている人もいる。
 最新鋭機は次々と発表されるのである。どうして十年二十年前のパソコンにこだわるのか。変化の激しいコンピュータの世界である。古い機種は、とうてい実用に耐えないだろうに。
「古いマシンが、いまだに発している空気でしょうか。iMacとかG3マシンなど、高い評価を得ているものはありますが、オールドマックのような空気感は、今のマックから感じられません。コンピュータでありながらコンピュータを超えてしまっているんです。もちろん、デザインの優秀さや、古くても洗練され、完成されていた性能など、語りきれない魅力があるんです」
 登場したばかりのパソコン、あるいはマックが放っていた空気。かつての秋葉原はそれによって光り輝いていた。しかし、その空気はもう、薄れている。あのころの輝きを、もう一度取り戻せればいいのですが。
 水戸部さんは、そんなふうに、話を締めくくった。


拾うもの、捨てるもの
路地写真
「秋葉原へ行って、中古のパソコンを買うようになってから、やっと買い物のおもしろさを知ったよ」
 打ち明け話めかして、こんなふうに話を切り出した友人がいる。
「子供のときからずっと、買い物ってわずらわしいものだったんだ。店に入っていくと店員が近づいてくる。いらっしゃいませ。何かお探しですか? にこにこ顔でこんなふうに話しかけられると、もう駄目なんだ」
 誰にもうなずける記憶であろう。高いものを売りつけようとしているんじゃないか。飛びこんできた客は逃してたまるかと思ってるんだろう。新入荷のものだって何だって、すべての情報を握っているのは店員の側。客は迷える子羊。まな板の上の鯉なのだ。
「それが中古パソコン、正確にいうと中古のMacintoshね、マックの魅力にとりつかれてからは、店員と不思議なくらい話せるようになったんだ。ほら、中古屋では話をしないと、文字通り、お話にならない。いらっしゃいませといわれれば、こんにちわと返事するし、何かお探しでと聞かれれば、あれはないですかとか、こんなものはないですかと、訊き返せるようになった。そのうち、秋葉にひいきの店ができていったんだよ」
 こう語る友人は、三十歳代の後半である。今まで店員と満足に会話できなくて、どんな買い物をしてきたんだといいたくなるが、多くの現代人は、この友人を批判できないだろう。〃当店は店員が話しかけません〃とか、〃お声はかけませんので、心ゆくまでお選びください〃などと、わざわざ貼紙してある店を見かけるご時世だ。戦後の消費者生活を一変させたスーパーマーケットは、対面販売の伝統を壊し、買い物かごを気楽に満たせる感覚が受けて、全国に広まった。その感覚の延長、発展形であるコンビニエンスストアが生活に不可決の存在になっている時代に、店員と会話せずに買い物を済ませたいと願う人は多いはずだ。
階段写真
 小説を書きたいと、年じゅう、思い詰めている友人がいる。彼は学生時代から、三日にあげず神保町に通っていた。小説を書きたいのに書けないのは、彼があまりにも本好きだから。他人の本に夢中になっているうちは、自分の本など作れないもの。そうではないか?
 その彼が、ふっと、洩らしたのである。
「おれ、本を売っちゃたよ。部屋にあった本を、ほとんど……」
 聞けば、百冊二百冊どころではないという。数は、数えられない。十数年来買い続けた本がなくなった。古本屋はそれを、四十数万円で買ったというから、半端な数ではない。それなら友人の部屋は空っぽになったのかと思ったら、そうではないという。
「代わりに、中古マックが部屋を占領し初めたんだ。少しずつ、少しずつだけど、気がついたら机の周りはマックでいっぱいになってた」
 何台? 友人はうつむき加減に笑って、二十台くらいかな……といった。しかし、その気恥ずかしそうな表情から、あと二、三台は上乗せしてもいいと思った。しかも、現状が終着点ではないだろう。友人はまだまだ買い続けるに決まっている。
「でも、マックの方が高いだろう。中古とはいえ、パソコンだからな」
 こう尋ねると、友人はよくぞ訊いてくれたといわんばかりに笑った。
「そうでもないんだよ。LCシリーズなんて三千円くらいだし、IIsiなんて四千五百円だし、名機といわれるIIciだって、この間、五千八百円というのがあった。もっとも、中の部品がちょっと欠けてたけどな。でも部品なんて、中古屋を回ればすぐ手に入る----」
 三千円、四千円、五千円。どれも、ちょっとした本の値段である。神保町に行って安い本を数冊買えば、当然、そのくらいの金は消えてゆく。
 それにしても、どうして、古本が中古マックになったのか? 神保町から外神田へ、友人が通う街は変わってしまったのか? そもそも、なぜ新品のマックを買わないで、中古マックばかりを買い漁るのか? iMacだG3だと、最新のマックは次々に発売されて評判になっているではないか。
「マックって、いいんだよな。古いものには、新しいものにない魅力がある。うまくいえないけど。マックが呼んでるんだよ」
 友人の顔は、半ば恍惚状態だった。小説は、ますます書けないだろう……。


改造ということ
路地写真
 マクサスコンピュータアップグレードサービスは、マックを始めとするパソコンの改造を目指す人にとって、知らずにすますことができない店だ。九十二年、もともとは学生仲間で始めたアップグレードのサービスだった。場所は成城学園から渋谷、そして秋葉原へ。移転するにつれて事業も充実、拡大していく。メンバーは皆、マックのユーザーだが、創立時、マックはアップグレードの対象になっていなかった。しかし九十六年からマック向けのサービスを始めたことで、すべてのパソコンユーザーが足を運べる場所になったのである。
 取締役の天宅信裕さんに話をうかがおう。
「マックをお使いの方は、本当にマシンを愛しておられるんですね。他のメーカーのパソコンは、新機種が出れば消えていくし、それにつれてお店にやってくる人の顔ぶれも変わっていく。しかし、マックの愛好家というのは、実用本位の人、マニアの人、あらゆる方々が、いつまでも使い続けようという気持ちを持っている。Windows95がブームになった時も、流行に流されなかったんじゃないでしょうか」
 アップグレードという言葉を社名にしているように、オリジナルの形を尊重しながらも、変化する時代に合わせ、あるいは変化する作業内容に合わせて、マックの性能を高めていくのである。店舗とは別な場所には、アップグレードを行うための工房があった。あらゆるタイプのパソコンが運び込まれている、その一角に、マック専用のコーナーもあった。
「一部をいじってバランスを悪くしてしまうより、使えるものは使いながら、性能の高いパーツを組みこむことで、より快適なマシンを作り出す。外見はオールドマックでも、中身はまったく別物になるわけです。オリジナルを損ねるように思われるかもしれませんが、これは逆に、それだけオールドマックのデザインが優れている証拠でしょう。ただの函じゃないんですね。もちろん、古いまま、オリジナルの方がいいという方には、現状維持のサービスも行っています」
 そんな天宅さんにとって、秋葉原という街、その魅力とは、いったい何だろう?
「お客さんの数が、本当に多いですよ。いろいろなタイプの方がいらっしゃいますしね。秋葉原に移ってきた九十五年当時は、パソコンのアップグレードサービスを仕事にする店というのが私どもしかなかったことで、ずいぶん取材もされたのですが、とにかくこの街にいる限り、注目度は非常に大きいです。私自身、成城学園の時代から、このような仕事をするのなら、場所は秋葉原だと思っていたんです。初めて店を構えたビルというのが、日本で初めてマイコンを作る会社が入っていた建物だったことに、因縁というか、運命、導きのようなものを感じました」
 中古品、ジャンク品、筐体と呼ばれるマック本体の函、さまざまなパーツ、ハードディスクやフロッピードライブなどの内蔵部品、などなど。それらを目当てに、絶え間なく訪れては出ていく人、人、人。密度は濃いのに、不思議と風通しのよさを感じる店内なのである。
階段写真
 秋葉原駅から少し遠ざかろう。人混みを縫うようにして末広町駅方面へ。差し出されるちらしの間をくぐり抜けてゆくと、とあるビルの屋上に、〃五州貿易〃と大書された旗指し物が見えてくる(註:現在は神田明神下交差点付近に移転)。名前からしてすでに、大陸の風を感じる。想像通り、五州貿易を率いるのは、長春出身のリー・イヤンさん。国内ではなかなか手に入らない中古マックを海外から輸入し、販売しているのである。
「もともとはエンジニアで、プログラム作りの仕事もしていたんです。コンピュータには日本に来て初めて触ったのですが、すぐにその魅力に取りつかれましたよ」
 ルーさんの表現を借りれば、コンピュータは人間の頭脳の延長である。工具なら、人間の手の延長といえるが、コンピュータは頭脳の延長。人間が作り出したものには違いないが、人間よりも高い能力を備えている。しかも、正確だ。
「私が中国にいたころ、あちらの大学にはコンピュータが一台か二台あっただけ。触ることもできません。それが日本、特にこの秋葉原では、お客さんが行列を作って、まるで野菜でも買うようにパソコンを求めている。驚きました」
 五州貿易でも、ただ中古マックを並べておくだけではなく、積極的に改造品の販売を行っている。その目玉になっているのが、i/30。マニアならぴんと来る名前だが、詳しくない人には何のことかわからないはず。i/30などという名のマックは、正式には存在しない。これは、九十八年の発売以来、大人気を呼んだiMacと、マック史上の人気機種、SE/30を合体させようという試みの成果なのだ。一見したところはSE/30。しかし、SE/30にはなかったはずのCD-ROMドライブやインターネット接続用のモデムその他が内蔵されている。処理速度も、オリジナルの16MHzから最高333MHzへと、飛躍的にアップしている。
「この間、i/30を買っていかれたのは、大学の先生でした。研究室に置いておくのだといって。でも、能力だけを問題にするなら、古いものにこだわる必要はない。値段も釣り合わないでしょう。それでもマックがいいという方が、おおぜいおられます。デザインの魅力は大きいでしょう。使いやすいこと、愛情を寄せやすいこと、それに、Applerという会社のセンスにもひかれるんでしょう。マックを好きだという人のタイプは、一言でいえません。え? こんな人が、というような方もお店に足を運んでくださいます」
 五州貿易の扉をくぐる時、いつも感じるのは、店内の明るさ、開放感だ。ビルの五階にあって、広いとはいえない店内に、中古マックや各種パーツ類が置かれている。圧迫感を感じて当然なのに、どこか、抜けている。道路に面した窓から光が射しこむから。パソコンショップには珍しい女性スタッフのAさんがいて、マニアックな店にありがちな閉塞感を作らないようにしてくれている。そうしたことに加えて、ルーさん自身が漂わせる、それこそ大陸的な雰囲気もえがたい。五州貿易の名を、そのまま体が表わしているのだ。
「私自身のことをいえば、あえて最新機種を持とうとは思いません。ストレスを感じない程度の能力があってくれればいい。自分にあったものを、長く使い続けたいと思っているのです」
 当面の買い物ができなくてもいい。いつまでもいたいと思わせてくれる、気持ちのいい店である。


新宿、その他の街
路地写真
 秋葉原と新宿が地下鉄で直結している事実は、私にはとてもおもしろいことに思われる。
 何がそんなにおもしろいのか? 結ばれていていいじゃないか。結ばれていなくてもいいじゃないか。JRなら総武線が秋葉原と新宿を結んでいる。何を改まって、地下鉄で……、などと強調する必要があるのか?
 話はマックを中心に進めている。ただ街同士が結ばれているだけで喜んでいるわけではない。秋葉原はこれまで見てきたとおり、パソコンの街。新宿もまた、秋葉原ほどの規模ではないものの、パソコンの街、電気の街としての一面を持つ。
 本来はカメラの街というべきかもしれないが、新宿駅周辺で何軒かのカメラ量販店が競い合ううち、パソコン方面にも手を伸ばして乱立混戦状態、それなりに持ちつ持たれつの有り様なのである。その中で、パソコンの大手チェーンPが、秋葉原同様、何店か店を出している。マック店、マックの中古店、ウィンドウズ店、ゲーム店など。秋葉原ほどの量はないが、質においては充実しているのではないか?
 新宿線の新宿駅はいわゆる西口方面にあって、駅の真上にはパソコン専門で知られるSの、中古マック販売店がある。私はここで、しばしば安い買い物をしている。買い物をしないまでも、これは買いたいなと思うマシンを見かけている。秋葉原へ行っても、そうそう掘り出し物に出会えるわけではない。割合からいえば、Sでオールドマックの値打ち品に出会う機会はかなりの高さになると思っている。
 秋葉原駅から東へ。高速道路が頭上を走る昭和通りに出て和泉橋を渡ると、地下鉄都営新宿線の岩本町駅前に出る。ここで地下鉄に乗れば、約十三分で新宿駅に着く。二つの駅の間は、約七キロ。中古マックを見た後で地下鉄の真っ暗なチューブに潜りこみ、明るいところに出てみれば、そこには依然として、中古マックがある。その事実を発見した時、その人の中では七キロという距離が消えている。この現象がおもしろいのである。
 新宿からほど遠からぬ千駄ケ谷は、マックの似合う街である。数年前まではアップル・ジャパンの本社があった街でもある。
 中央線に乗って四谷、信濃町方面から千駄ケ谷に近づくにつれ、国立競技場のスタンドの向こうに、五色のアップルマークが輝くビルが見えてきた。そうか、あそこにアップルがあるのかと思い、四谷に住む私は、社員でもないのに、まったくお門違いの誇らしさを抱いた。そのアップルも、現在は新宿のさらに西方、初台に引っ越してしまった。もう、五色の林檎は輝いていないだろう。
 しかし、千駄ケ谷の町を歩くと、今でも林檎のマークがあちこちに目立つのである。現在は五色のものが使われず、パワーブックの蓋にあるような白い林檎だ。それが、いたるところに掲げてある。印刷関係のオフィスもあるが、マックを扱うショップが二、三軒。その中のひとつ、P・Wは私のお気に入りだ。この店が気に入っている理由は、売らんかなというがつがつした雰囲気がまったくないこと。もちろん、店を経営する側にしてみれば、売れなくては困るだろうが、しかし、秋葉原にある店のような、とがった感じがしないのである。秋葉原から遠く、新宿からほどよい距離を保った、千駄ケ谷という街の性格がそうさせるのだろうか。
いや、同じ千駄ケ谷にあっても、M・Pの雰囲気は、私は何となく嫌いである。客を見下している感じがする。店に入ると店員が奥から出てきて、何もいわずに客を見ている。これが万引きでもしないかと、監視されている気分になる。電話で中古マックの在庫を問い合わせた時も、機種名をはっきりいわないと答えてやらないといわんばかりの態度。客にも落ち度はあろうが、不快にさせることはない。店の中にはアメリカン・コミックやアメリカ映画のキャラクター・グッズが置いてあって、開放的で遊び心のある店を演出しているが、実態は大違いだ。
階段写真
 ほとんど毎日のように、P・Wに通っていたことがある。棚に並べてあるオールドマックのパーツが気になって仕方なかったのだ。パワーブック190のクリックボタンを買い、同じく520の内蔵電池を買い、Duoシリーズに使えるACアダプターを買い、LC630のフロントパネルを買い、中身の入っていないIIciの筐体を買い、……といった具合で、実は高価なものはほとんど買っていない。せいぜいパワーブック500シリーズ用の、映像出力ケーブルを5000円か6000円で買ったのが、いちばんの高額商品であろう。店にとってはたいしてありがたくもない客である。時折、オールドマックの委託販売を頼んだことがあるが、それにしても数千円でしか売れないマシンばかり。店の取り分の一割は、数百円にしかならない。逆に、マック関係の雑誌を大量に譲ってもらったことがあって、こちらが感謝することの方が多いような気がする。つまり、いろいろ勉強させてもらったということ。しかし、店と客の関係は持ちつ持たれつだから遠慮することはない。これからも、せいぜい足を運ぶとしよう。
 かつて、吉祥寺にOという中古パソコンショップがあった。マックが中心だが、ウィンドウズ・マシンも置いてあった。その店の店主は、脱サラをして、好きな中古パソコンの店を開いたのである。
 頼りない店構えであった。昔の駄菓子屋のような、雑貨屋のような、吹けば飛んでしまうかと思わせるような、貧弱な店だった。がらがらと、ガラス張りの引き戸を開けて入ると、床はコンクリート。左右の棚には、オールドマックが天井近くにまで積み上げられている。隅っこでは、脱サラの主人が、ワイシャツにネクタイ姿で坐っている。手元にはマザーボードがむき出しになったマシン。修理の最中なのか、何やら本人にしかわからないことを黙々と続けている。
 主人は何歳くらいだったのだろう。おそらくは、五十歳。マックおたくのようではなく、ひまにあかせてマックをいじっているというわけではなく、客なんて何も知らないんだろうという感じはなく、実にノーマルな印象の人物であった。
 時折、モニタやパソコン本体を持ちこんでくる人がいる。あるいは、彼女を連れてオールドマックをひやかしに来たらしい若者が入ってくる。パソコンの修理を依頼しているらしい中年男が、ぶつぶつと話しかける。私も何度か買い物をしたものだから、主人は私の顔を覚えていて、親しげな視線を投げかけてきた。
 もっと都心に近ければ、毎日でも通うのに。そんな気持ちすら抱かせてくれたのである。
 吉祥寺は、いうまでもなく、中央線沿線にある。中央線沿線といえば、私などには、サブカルチャーが幅を利かす地域という印象がある。今でもその事情は変わっていまい。東京の中央部では見かけない類の店、六、七十年代なら、ヒッピーがゆらりを奥の暗がりから出てきそうな店が、九十年代末でも似合う街である。喫茶店、古着屋、骨董品屋、古本屋など。そうした、店にまじってオールドマックを扱うOがあったのは、ヒッピー世代から生まれたマックらしいことと思っていたのだが。
 ある日訪ねてみると、Oは、閉店してしまっいた。看板が取り外され、シャッターが下ろされ、かつてそこでオールドマックが売られていたという痕跡など、少しもなくなっていた。


古きを知って新しきを……
路地写真
 「マックばかり追いかけて、どうするんだ? Windows(ウィンドウズ)だっていいじゃないか。最近はLinux(リナックス)なんてのもあるんだぜ」
 そんな声が聞こえてくる。
 何が自分にとって最良か。OSの魅力をめぐる論議は尽きない。
 要するに、何でもいい。使えれば。その声には一理ある。OSは道具である。人は道具を使って何かを作る。原稿を書くのが仕事であるなら、心を砕くのは原稿のよしあし。道具のOSにこだわっても仕方あるまい。そんな暇があれば、美しい日本語、おもしろい日本語、刺激に満ちた日本語の創造に向うべき。正しい。
 しかし、自分にあった道具を探し求めて東へ行き、西へ行きするのも、古から変わらぬ人の姿なのだ。私は私なりに、道具にはこだわりたい。原稿用紙一枚にも、シャープペンシル一本私には長年のこだわりがある。神楽坂にある、何々屋の原稿用紙でなければならないというほどのものではない。どこの文房具屋にも売っている、コクヨのB5版横書き四百字詰め原稿用紙、これでなければ原稿用紙と思われない。
 またシャープペンシルなら、PRESS MANという銘柄の、〇・九ミリ芯タイプ。よくある〇・五ミリ芯のものでは文字が細くて堅くて、非常に神経質な人間になった気がする。PRESS MANの〇・九ミリは、私という書き手を楽にさせる。
 マックで原稿を書くようになり、ここにあげた原稿用紙も、シャープペンシルも、日常的に使うということがなくなった。それらがなくても、私は何ら困りはしない。それでも、大事、というか親しみやすい道具として、常に手の届くところにある。マックも私にとっては、このような、親しみやすい道具である。
 多くの人にとって、初めて使ったOSが何であったか。これはその人の、パソコンとのつきあい方を決める、重大事であろう。その出逢いの記憶が、マックからウィンドウズへという流れをとった人にも、マックは強い影響を与えていると思われる。またそうでなければ、あまりにも寂しい。マックでもウィンドウズでも何でもいいんだよ。ということは、OSに限らず、道具など使えれば何でもいいという姿勢につながる。そうれでいいのだろうか? いいのかもしれない。いい作品さえ生まれるのなら。いい仕事さえできるのなら。しかし一流のピアニストやヴァイオリニストほど、どうして名器にこだわって演奏しようとするのか。理由は簡単だ。いい作品は、いい道具から生まれる。それを知っているのも一流の証。
 マックを追いかける人すべてがそうだとは、もちろん言い切れない。マックにも愚かなマシンはある。ウィンドウズ・マシンにも、また一流のものがあるだろう。しかし、会社にこれを使えといわれたから使っている。そうではなく、自分から選び、金を出して買うのならこれ。そのような人が、マック愛好者には多いように思われる。
階段写真
 このような、マックをめぐる人や物、その時々のできごとを追いかけ、マックについて考え続けている人物。それが、雑誌「Mac Fan」編集長の滝口直樹さんである。
「マックというのは、性能はもちろんですが見た目にもこだわりを持ったマシンです。普通は性能が古くなった瞬間にすたれてしまうものですが、マックは違う。コンピュータとしての使命が終った後も、その生命は続いているんですね」
 Apple社のデザイン感覚を示す言葉に、〃スノーホワイト〃がある。ドイツのフロッグデザイン社が、Apple初期のデザインを行っていた。その時代に使われたデザインコンセプトだ。先ほどから名前の出ているSE/30などは、すべてこの考えに基づいてデザインされ、世界に送り出されていた。フロッグデザイン社がマックから手を引いて久しいが、少なからぬ数のマックユーザーが、今でも〃スノーホワイト〃に憧れを持っている。〃スノーホワイト〃ではないマックは、マックと認めないという人もいるくらいだ。秋葉原に集まってくるマニアの多くも、認める認めないはともかく、その〃スノーホワイト〃を一定の価値基準にしていることは間違いない。
「90年代の初頭、マックのデザインセンスが落ちこんでしまったんです。そのころ、ユーザーの間に、非常にストレスがたまってしまった。マックの愛好者には、機能だけではない、スタイル性を求める方が多いですから。それでApple社の方でも、そのニーズに応える形で、Classicと命名したマシンを発表しています。九十三年、九十四年ごろのことですね。それが最初のオールドマック・ブームといっていいんじゃないでしょうか」
 そのような流れの中で、「MacFan」にもオールドマックを評価していこうとする企画が登場する。中古マックを今に生かすための、改造の手引き。オールドなものに宿る魅力を知ってもらおうという、写真とエッセイのページ。それをムック、あるいは単行本としてまとめたのが、例えば前者なら『はぐれMac Fan改造派』、後者なら『林檎かわいや』。いずれも、予想をはるかに超えた売れゆきだったという。
「特に『林檎かわいや』は、各界の愛好家にエッセイをお願いしているんですが、どんなお忙しい方でも、喜んで引き受けてくださるんです。書きたかったんですよ、といって。写真の方は、普段は正面しか見ないマックを、上から撮ったり下から撮ったり裏から撮ったり。しかし、そのどれもが絵になるんです。見えないからといって、手を抜いていないんですね」
 しかし滝口さんの見るところ、中古マックばかりが注目される傾向は、決して、健康的とはいえない。新しいもの、移り変わってゆくものにも目を向けなければ、偏りを生むばかりというのである。初期のマックはほとんど所有して、その魅力を知り尽している人の意見だけに、これは聴かなければなるまい。例えば今日のiMac。滝口さんによれば、iMacは久々に登場した、デザイン性にも訴える、一体型のマックだという。iMacがひきつけたのは、従来のマックユーザーだけではない。とりわけ、女性に訴える魅力を備えていた。パソコンショップのマックコーナーでは、iMacに触れる女性の姿を多く見かけたものだ。秋葉原を歩いていても感じるのは、女性の姿をほとんど見かけないということ。もちろんいるのだが、圧倒的に男性の数が多い。しかしその中で、マックを取り巻く世界では、女性の比率が高いのである。機能一辺倒ではない。部屋の中にあってインテリアにもなるという、感性的な力をマックは持つ。それは〃スノーホワイト〃の時代から続く、Apple社の伝統だ。決して古いマックだけに宿るものではないのである。
「ただ、あまりにもスタイリッシュなので、日本の会社には置きにくかったということはあるでしょう。アメリカでも同様です。堅くてマスな発想に裏打ちされたビジネス社会とは、どうしても折り合いが悪かった。しかし、発想の豊かさやオリジナリティを求める人、他人と違う価値観を持とうとする人は、ビジネスマンであってもマック を求めるでしょう」
 古いもののよさを知りつつ、新しいもののよさにも目を向ける。滝口さんの目に、マックの行く末は、どう映っているのだろう?


赤き血のマック
路地写真
「それにしても、色気のない街ね」
 女がいった。
「黒っぽい街よ。夏になれば、ただ白っぽい街になるのかしら」
 私は女を案内して、秋葉原に来ている。秋葉原でいちばんおもしろいのは中古マックの店、ジャンク・ショップだといって、何軒か見て回ったところだ。女は初めて秋葉原に来た。私が、何かというとオールドマックの魅力を吹聴するものだから、何がそんなにいいのかと確かめてみる気になったのである。
「見てよ。男ばかり歩いてる。それも、女に縁のなさそうな男が」
 女の言葉は冷たかった。冷笑を浮かべるとか、怒りだすというのではない。心の底から呆れている風情だ。
 いや、そうではない。私は何度、そう、女に主張しようとしたことか。先に登場した「MacFan」編集長・滝口直樹氏もいっている。マックなら女性にも親しみやすい。機能一辺倒ではない魅力を持つパソコンが増えている。ウィンドウズの世界でも、カラフルで、デザイン性に気を配ったマシンは多い。特にiMacが登場して以降、秋葉原を訪れる女性の姿は増えたはずだ。滝口氏によれば、マック関係の雑誌は、女性の購読者も少なくないのである。
「そうかしら。女の子が多いといっても、この街で主導権を握っているのは、やっぱり男よ。独り歩きする女なんて、一人も見なかった。あなたもさっき、見たでしょう。中古マックの店で、店員をつかまえて、とんちんかんな質問をしているおばさん」
 覚えていた。マックの店に来て、わざわざ、この箱に入ってるキーボードはマックで使えますかと、仁王立ちで訊いていた。それに対して真面目に対応していた店員が、何となく哀れに見えたのである。
「きっとあの人、中古ショップなら、新品を置いてある店より安く変えるはず。そんな気持ちで来ていただけよ。オールドマックの魅力なんて、彼女には関係ない。新品だって同じこと。ただインテリアにあるだけのパソコンって、それ、コンピュータといえるのかしら? 女が秋葉原で目立つ時って、とんちんかんなことしてる時だけよ。だって、ほとんどの女には、パソコンってただの道具だもの」
 私は反論できないでいる。この女のいうことは正しい。秋葉原で多いのは、圧倒的に男。女性の姿を見かけることはあっても、それはただ、見かけると行った程度である。この街で幅をきかせているのは、あくまで男だ。
 神田神保町もそうだった。世界に名高い古本の街、神田神保町もまた、男だけの世界だ。埃っぽくて、薄汚れていて、手垢にまみれていて、わかる者にしか価値はなくて、しかもその価値は第三者の目にはほとんど意味のないもの。古本のコレクターが老いて死んだ時、残された夫人が小山のような古本を処分して、せいせいしたと喜んだというのはよく聞く話だ。
 世界に名高いエレクトリック・タウンもまた、男だけの世界だ。マックに限らずパソコンのマニアが死ねば、やはり残された者は、遺品を何とかして処分しようとするだろう。目の前からオールドマックの山が消えた時、ああ、この家はこんなに広かったんだと、改めて、死んだ者の存在感を感じるだろう。
「あたし、何にせよ、色気のないものは嫌い。パソコンに色気があっても、それを使う人間に色気がないんじゃね。街にだって、色気は生まれないんじゃないかしら」
 いればいるだけ埃にまみれそうといわんばかりの、女の表情だった。その予感は当たっている。埃どころか、錆びが女の身を侵すかもしれない。好きな者には、それがまたいいところなのだが、女にそんな理屈は通用しない。私は女の手を引いて、早々に退散することにした。銀座線末広町駅の近くに、決まって訪れる店がある。行けば、必ず何かを買うところだったが、今日は諦めるより仕方あるまい……。
階段写真
 さて、もう一軒、マックにかかわる大切な人と店を紹介したい。場所は秋葉原ではない。しかし、末広町駅にほど近い、千代田線湯島駅から地下鉄に乗れば、およそ二十分で着く葛飾区の金町。そこに、CompuAce金町店はある。
 金町店というからには他の街にも店舗があるのかという疑問が生まれる。そう、秋葉原にもCompuAceはある。初めてCompuAce名を知ったのも、秋葉原店において。秋葉原店には、金町店の品物を売るコーナーがある。ゴールデンウィークなどには秋葉原店の前で特売を行う。しかも、店員とじゃんけんをして、客が勝てばキーボードを半額で買える、などの面白みを出している。ただし、秋葉原店と金町店は経営体制がまったく別で、協力はしているが独立採算で、互いを干渉し合わないのである。
 そのCompuAce金町店を訪れるのは、何時ごろがいいだろうか? 営業時間は午後二次二時から午後十一時まで。勧めたいのは、日がとっぷり落ちた、空に星がまたたく時間である。駅前から伸びる、庶民的な商店街がある。駅前喫茶、薬屋、パン屋、古本屋、呉服屋、魚屋、洋品店……。親しみやすい店の前を通りすぎてゆくと、彼方の街角に、商い品を軒先に並べ、積み上げた店が見えてくる。裸電球が路上を照らす、何だか屋台のような、懐かしげな風情の店。それがCompuAce金町店である。
「ひとつの場所に、異質な物同志を一緒に置いてみる。その時に生まれる、予想もしなかった何か。それがおもしろいんです」
 店長の川上新さんが語る。川上さんのいう何かとは、風景であるだろうし、空気であるだろうし、置いた人の思想や精神であるだろう。あるいは置く側が予想もしない、それを見る人の発見でもあるだろう。実は、CompuAceに置いてあるものは、マックだけではない。装飾品や駄菓子や日用品や工芸品や玩具やオーディオ製品などが、ところ狭しとぎっしり、しかし置く側のはっきりした意図によって並べられているのである。マックのコーナーは、面積としては広いが、決して大きな顔をしているわけではない。他の要素と溶け合っている。溶け合いながら、マックにしかない魅力を発散している。装飾品や駄菓子などと同列に置かれることで、かえってマックの魅力が生かされていると思われる。
「リズム感覚、バランス感覚というものは、非常に大事だと思います。もともとミュージシャンだということもあるのでしょう。リズムやバランスが、お店のセンス、売る人のセンスを決めてしまいます。ただ品物を並べていれば、それを目当てにお客さんが来る、品物が売れていくというのは嫌なんです。他にない空気、それを作って売りたいんです」
 買う側と売る側が、言葉を買わさないままものをやりとりするのは嫌だという。あるいは、おれは客なんだという尊大な態度、売ってやるから金を置いていけという傲慢な態度。こうしたものも、忌むべき。お金が右に左にやり取りされる場ではなく、始めに川上さんがいった、ものを混在させることで生まれるまったく新しい場所、空気こそが、CompuAce金町店のめざすものなのだ。だから、いわゆるコンピュータおたく、マックユーザー、パソコン愛好家だけの店ではない。そういう人も来るのだが、川上さんが引き寄せたいと思うのは、そのような狭い範囲の人たちだけではないのである。
「二時に店を開けると、まずやってくるのが、定年を過ぎてしまったような男性客。孫に何か買って帰りたいという人なんでしょう。三時、四時になると、学校帰りの子供たちが、駄菓子やおもちゃを買いに来る。それから夕方になると、夕御飯の支度に出てきたお母さんたちがここに寄って、日用雑貨などを買っていきます。そして夜になれば、秋葉原巡りをしたマニアたちが、この金町まで足を伸ばしてくるのです」
 特に書いておきたいのは、CompuAce金町店が扱う品物の、見栄えのよさだ。中古品がある。ジャンク品がある。使い道の定かでない物がある。しかし、どれもきれいなのだ。例えば、マックに付属の解説書など、秋葉原のほとんどの店では、しわだらけのまま、段ボール箱に入れて売られている。無造作な印象はいなめない。しかしCompuAce金町店では、きちんと包装をされ、整理され、名札をつけて置かれているのである。
「包装といったようなことには、特に気をつけているんです。マックにしても中古品だしジャンク品だから、一度、誰かの手を経ている。でも、それを売る時には、自分たちのオリジナルを出したいわけです。葛飾区というのは、とても物価が安い地域で、ここで商売を成立させるのはたいへんです。何か売るのなら、売るための工夫をしなければならない。できあがったものにあぐらをかきたくないですから。そのように工夫すればするだけ、こちらの気持ちに応えてくれるのも、マックのよさといえるでしょう」
 川上さんの言葉からも、わかっていただけると思う。
 人間対人間のつきあいと同じ。楽しいだけではない。悔しいこと哀しいことがあっての楽しさであり、歓びなのだ。
 そんな、マックをめぐる喜怒哀楽が渦巻いている街。それが秋葉原である。電気の街、パソコンの街だからといって、秋葉原は決して無味乾燥ではない。クールでもないし、ドライでもない。人間くささにあふれた、有機的で融通無碍な土地なのである。流れているのは電流ではなく血流。


輪廻転生
路地写真
 ある店でジャンクの函をあさっていた。みつけたのは100シリーズの上半分、すなわちディスプレイ部とキーボード部が接合されたものをひとつ。ある専門学校に私のマックを置いてあるのだが、その丸マウスが紛失したので、その補充用を一個。それぞれ953円という値段である。完全なジャンクなら2,000円の損だが、パーツ取りくらいには使えるだろう。
 会計をして、なお店を去りがたく、店内を一巡してジャンクの函に戻ってくると、一人の女が、長い髪を垂らし、腰を半分に折って函を覗きこんでいる。女は細長い指先で、ジャンクの品が入った袋を手際よくかきわけていた。テンキーパッドや電源部やハードディスクのマウンターなどが、姿を見せては再び山の中に埋もれてゆく。何を探しているのか。いや、何も探してはいない。何かあればみつけもの。なくても別にがっかりはしない。ジャンクあさりとはそういうもの。それにしても女にしては珍しい、女にマニアは少ないはずだがと思い、私はしばらく、女の後ろ姿を見ていた。女が上体を上げたとたん、肩越しに顎の線が見えた。形よくカーヴを描いた、卵形の顔がうかがえる。Jであった。実をいえば、私はこの女と、ある時期、もつれた糸がほどけないような思いを抱きながら、つきあっていたのである。
「あたしとマックと、どっちが大事なの?」
 Jの口癖はそれであった。
「マックに割く時間をあたしにちょうだい。それができなくて、どうしてあたしのことを好きだなんていえるの?」
 他人が聞いたらお笑いとしか思われないような言葉を、Jは私に投げ続けた。機械と人間が比べられるものか? 誰もがそう思うに違いない。私もそう思う。しかしJにしてみれば、それは笑いごとではなかった。Jは本気だ。本気でマックに嫉妬していた。
 Jは私に背を向けたまま、ふらふらと去っていった。私がすぐ後ろにいることを、Jは知っていただろうか。いや……。Jの目には私など映りはしない。何を見ているのだ、J。古ぼけたジャンパーとGパンに身を包んだJは、一種の近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。すべてを捨てた女の、人を人とも思っていない、美しき傲慢さ。周囲の者はただ、Jを遠巻きにして見ているしかない。
 あんな女とつきあっていたのだろか。とても自分自身のこととは思われない。あんな女を、私はこの手で抱いていた? 素足で踏みつけにされるというならわかるが……。
 私はJを誘って、しばしば秋葉原を訪れた。来れば何時間も、秋葉原で時間を過ごす。時に湯島の安宿で体を合わせ、その後で再びマックを求め、秋葉原の雑踏に足を踏み入れてゆく。そのようにしてバランスを取っていたわけではない。私にしてみればどちらも大事なのだ。大事であるがゆえに、すべては一度にやってくる。しかし、それがJには気に入らなかった。どうしてマックと自分が同列なのかというのである。同列ではない。次元が違うというのだが、ではどう違うのかとなお問われれば、それは私にも説明できない。確かにある部分では、私はJよりもマックのことを大事に思っていたのかもしれない。もちろん別の部分では、マックよりもJのことを大事に思っているのだが。
「あなたの口にすることは、全部がマックね」
「そんなことはない。アートのことだって、映画のことだって、話してる」
「じゃあ、何かいってみて」
「そうだな。ああ、この間の暮れに『M:I-2』、観たよね」
「おもしろかったね」
「興奮したよ。あのトム・クルーズって、マック・ユーザーなんだって」
「……」
 結局、Jが私のもとを去っていったのは、マックのせいだったかもしれない。そのJが、なぜ、マックのジャンクをあさっていなければならない。Jはいつからマック・フリークになったのだ。
階段写真
 もちろん、Jとても、マックは使っていた。Jのマシンは、PowerBookが550c、デスクトップがQuadra700。どちらも改造されて、PowerPCを搭載していた。Jは美術ライターである。仕事柄、Jはマックで原稿を書き、送信していた。美術の感覚にすぐれたJが、550cとQuadraを選んだのは当然のことだろう。見た目のいいものは性能もいいというのがJの持論である。マックに限らずそうだ。となれば、デザイン性にすぐれたマシンをJが使うのは当然である。しかし、Jは決してマックに溺れない。私のように、前後の見境なくのめりこんだりはしない。新しいマシンが発表されるや、それが気になって仕方ないということもない。Jはきわめて冷静に、550cとQuadra700を使い続けている。そのいずれにも、一定の距離を置いている。このようなこともまた、マックに限らず、である。Jとはそのような女だ。いや、だった----。
「おれのIIfx、3台あるうちの1台がなくなった」
「そう。知らないわ」
そんな会話がかわされたのは、いつのことだったろう。
「SE/30のハードディスクが抜かれていたよ」
「ハードディスクなんていくらも代わりがあるじゃない」
 Jはあくまで冷静だった。
「150を開けたらキーボードがないんだ」
「スペアがあるでしょう。150のキーボードは固いからちょうどいいわ」
 Jはあまりにも知りすぎていた。しかしそれは、私とつきあった結果である。
「190csがモノクロの190になってた。なぜだが知らないか」 「最初からそうだったんじゃないの?」  この先、どんな異変が起るかわかったものではなかった。それらすべてにJが関わっているという証拠はない。指紋でもとれば何かわかっただろうが、最も多く検出されるのは私自身の指紋だろう。とすると、そうした異変は私の手によるのかもしれなかった。自信がなかった。すべてのことがわからなくなっていた。
 もやもやを抱えたまま、ある日、私はJと秋葉原へ行き、いつものように、湯島の安宿に入った。ことが果てた後、二人は並んで横になった。私はJの肩に手を回し、その安らかな寝息を聞きながら、深い眠りに落ちた。どのくらい時間が経ったのか。目を覚ました時、私が裸の腕に抱えていたのは、Portableの真っ白な筐体だった。PowerBookの先駆けとしてアップル社が開発した、持ち運び自在のマック。大きすぎ、重すぎるために普及はしなかったが、初めてのポータブルマシンとして、その名はマックの歴史にとどめられる。しかし、Jはどこへ行ったのだ。
 結局、私は一人で宿を出た。腕にはPortableを抱え、いささかばつの悪い思いをしながら。やはり、このマシンが売れなかったには無理もない。ラブホテルから出てくるのにPowerBookなら目立たないが、大きなPortableではあまりに気恥ずかしい。Jの家に電話をしてみたものの、私は無限に続く発信音を、空しく聞いただけ。何日も、何日も、Jには連絡が取れなかった。アパートにも足を運んだが、新聞紙があふれそうになった郵便受けを見て、何もしないまま引き返した。自然に、私とJの仲は、消滅した。Jがいなくなって一人で秋葉原へ行った時、私は心の底から、一人でいることの空しさを感じた。Jと二人で行くからこそ、殺伐とした秋葉原巡りにも、うるおいがあったのだ。それを知ったのは、Jがいなくなった後。
 ……そのJが、ジャンクをあさる女として、私の前に姿を現した。後を追いかけ、声をかければ、間違いなく振り返るだろう。その先、どんなことになるかは知らないが、手を伸ばせば触れられるところに、Jはいる。それをするのか、しないのか。私は判断を保留したまま、立ち尽くしていた。Jの後ろ姿が、しばらく中古マシンの間に見え隠れしていたが、やがて、消えてしまった。
街






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