「3400cを普通に使う会」タイトル

第7週:01年2月21日〜2月27日


白石富男氏と3400c 2月21日
 すでに述べたが、私は3400cを持っていることに、初めは自信が持てなかった。PowerBookの系統図、歴代の代表的マシン一覧といった記事があると、100や210や550cや2400cなどは大きく出るのに、3400cの扱いは小さい。他人の評価をあてにする、あるいは他人の評価を基準にするというのは情けないのだが、150を買った時と同様、これは間違えたかなという気になってしまった。そんな私に自信を与えてくれたのが、「MacFan」の、とある記事だった。98年11月1日号に、「あの人の書斎とMacが見たい!」という特集が載っている。その最後が、「PowerBook達人たちのモバイル書斎」。Mac関係の書籍や雑誌で活躍する、白石富男氏が紹介されていた。白石氏が常に携帯する、3400c/240とともに。
 「私のバッグは昔から『漬物石』と呼ばれている。/今は重いPowerBookが入っているためだし、このパソコンと出会う前は数冊の本----勉強や仕事のための書籍と息抜きのための推理小説両方----とノート類、それに辞書を入れていたためである。(中略)現在持ち歩いているのは、RAMを80MBに増設したPowerBook 3400/240/HD3GB。この中に日頃愛用しているAmerican Heritage、新編英和活用大辞典、リーダーズ+プラス、ジーニアス英和辞典、広辞苑、岩波国語辞典、小学館類語例解辞典などを入れ、英語の用例はデータベースソフトのファイルメーカーProで作り直すことにした……」
 こんな文章とともに、「漬物石」鞄から取りだされた3400cの写真が載っているのである。ばかな話だが、ああ、ありがたやという気になった。ここにも3400cを使っている人がいるじゃないか、と。もちろん多くの人が使っているのだが、2400cに比べて取り上げられる頻度の少なさに、気が弱っていたというのが実情なのだ。白石富男氏には感謝している。記事の切り抜きを鞄に入れて持ち歩き、しばしばながめているほどだ。

2月22日
 何という名の神様が私の方を見てくれたものか。2400cが手に入ることになりそうだ。いまだ手元には来ていないから手に入ったとはいえないが、しかし、十中八九、私のもとに来る。ただし、起動不能品。詳細は不明だが、起動しない、らしい。2400c特有の発熱現象でCPUがいかれてしまったのか。しかし、起動不能でも本体を手に入れれば、何とかできるのではないか。CPUをG3カードにさしかえてもいい。2400cとつきあってきた人々にいわせれば、そんなに簡単なものではないということかもしれないが、とにかく私なりに手を打ちたい。起動不能品とはいえ、縁あって私のもとに来るのである。面倒を見るのが当然だ。----実際に起動不能の2400cが来たとする。「2400cを買う会」は発展的に解消して、「2400cを動かす会」に生まれ変わるであろう。
 今日は幕張で開かれたMacworld Conference & Expoの初日。多くの人の関心を、PowerBook G4が集めていた。私も触ってみた。なるほど、こういうものか。手元に置いて使ってみないから、いまだに感想らしいものはない。DVD関連のトラブルも報告されている。しかし、手に入れて使えば、それなりのものがあるだろう。使ってみなければ、トラブルもないが、いいこともない。3400cにしたってそう。G3やG4に比べて劣っているのは当然。しかし、それでいい、性能など比較せず普通に使うと決めれば、それなりのよさが見出せる。よさといわずとも、自然体で使おうという気持ちを発見する。発見するものは、もはや3400cの中ではない。自分の中にある。これも手もとに置いているからわかること。売り払ってしまったり、交換してしまっては、見出すものも見出せない。

2月23日
 体がゆがんでいる。外見ではなく、内側でゆがんでいるのがわかる。立ったまま前屈すると、右の腰に違和感がある。G3/333を毎日持ち運んでいるせいであろう。持ち運ばなくてもゆがんでいたと思うが、毎日毎日重いものを持って、それでゆがまない方がおかしい。考えてみれば、3400cの方がなお重いのだ……。
 それで思いついたが、世の中の動物で、道具を持って歩いているのは人間だけである。道具を使うことが高度だと考え、猿に道具を使わせようとしているが、あれは愚かだ。道具なしで生きていけるものに、どうしてそんなことをする必要があるのか。あれは道具を使わせようとしているのではなく、知能について調べているのかもしれないが、結果的に道具を使わせているのだから同じこと。
 道具は、持ち運ばない方がいい。私のように体がゆがむ。3400cを普通に使う会は、当然、PowerBookを日常的に使うために作られた。PowerBookというからには、持ち運ばなければ意味がない。外で使わないのなら、デスクトップマシンが家に1台あればいい。しかし、PowerBookを使いたいと思う、いろいろな理屈をつけて。その結果、体にゆがみが生じる。外でも仕事をしないと不安なのか。メールの確認やサイトの更新を、家に帰ってするのでは遅いと不安になるのか。手ぶらで生きてはいけないのか? 愚かだ。人間は動物として堕落している。
 数日前、POWERBOOK ARMYの飯嶋氏から、メンバー宛にメールが届いた。PowerBook G4に関してだろうと思うが、会議室に異常なコメントが多くなってきたので、一時閉鎖したいとおっしゃる。何が異常なのか詳しくは把握していないが、おおよその想像はつく。注文したのにマシンが届かないとか、ハードのトラブルが多いとか、そうしたことへのアップルの対応がまずいとか、そういうことだろう。違うかも知れないが----。私はそれに対して、会議室の一時閉鎖は止むを得ない。怒るべきは自分、怒られるべきは自分。他人を怒るより、まず自分を反省したいというようなコメントを送った。何だか悟ったような台詞で、場違いだったかもしれない。私自身はまったく悟っていない人間だし、私もPB G4を注文していたりマシン・トラブルにみまわれるなどしたら怒り心頭に発した口だろう。しかし、マックのことに限らず、日頃からそのように思っていることは事実だ。
 やはり、現代人は、いや人間は、どこかゆがんでいる。体がゆがめば心もゆがむ。私もPowerBookの持ち過ぎで、心がゆがんでいるのではないかと思うことがしばしばある。3400cを普通に使おうと思うなら、少なくとも今は、持ち運ばないことかもしれない。でないと、普通に使えなくなる。異常にしか、使えなくなる。

2月24日
 PowerBookで腰が痛くなる、からだがゆがむということについて、もう少し補足しておく。
 今日は一日、PowerBookを持ち歩かなかった。厳密にいえば、長時間、持ち歩かなかった。仕事場の近くにある喫茶店に、昼時、3400cを持って出かけただけ。奇妙なことに、手ぶらで歩き出そうとすると、体が傾いてしまう。まっすぐに進まない。ゆらりと右か左に揺れ、おもむろに態勢を建て直してまっすぐ歩き出す。まるで、傾く側の反対側に、重い荷物を持っていて、そのバランスをとろうとするかのように。そして何かの拍子に、また傾く……。重いものを持っていれば、その重みで傾かないが、何も持っていないと傾いてしまう。その荷物というのが何なのか、おわかりであろう。PowerBookである。
 怖いことだ。毎日毎日PowerBookを持ち歩いているうちに、体がそれに馴れてしまった。PowerBookがあるのが普通だと、体が思いこんでしまっていた。つとめて、まっすぐ歩き出さなければならない。歩き方の訓練をしなければならない。もちろん、仕事と心中して体を壊し、そのまま息絶えるのもけっこうだが、その前に、考え方にゆがみが生じるのが怖い。私は昨年、年間を通して2種類の原稿を書いていた。結局は中断してしまったのだが、中断の直前、相当に泣き事が入っていることに、自分で気づいていた。これでは書いていていい気持ちになれないと思い、しばらく苦痛を堪えていたが、結局は途絶えた。体を壊したこともあるが、それが自然の流れだった。泣きが入っていては、読む側にも負担を強いる。それも結局は、歩き出そうとすると態勢が傾くほどのゆがみが、体に生じていたせいだと思う。PowerBookがないと不安で仕方ないということ。このこと自体、相当のゆがみだ。

2400cがやってきた

2月25日
先日記したとおり、2400cがやってきた。ただし、起動不能品。パワーオンキーを押しても何の反応もない。ACアダプタをさした状態で、あるいはそれを抜いてバッテリを抜いた状態で、緑のスリープランプが灯っている。再起動ボタンを押せば消えるが、すぐに再点灯。どうにもしようがない。ロジックボードの故障か、CPUの故障か、それとも……。しかし、状態は悪くない。特定のキーボードに摩耗はあるが、パームレストには革がはってある。函もきれいだ。ネジ隠しのシールもある。2400cが手に入ったことには違いないのである。これによって、「2400cを買う会」は解消し、「2400cを動かす会」に発展する。
 どのように動かすかは、いろいろな選択肢があろう。よからぬ考えもあるので、ここには書かない。つまり、多少の傷があってもメモリは少なくても、動くマシンを買って、中身を入れ換えるということ。本当に?
 その一方で、この夜は3400cのハードディスクを一時的に交換した。購入時についていた2Gのものを取り出し、これはカードで接続するCitiDISKに収め、代わりに容量の少ない1.3GのHDを取り付けた。これは、前に190csで使用するための予備として買っておいた中古で、私に売ってくれた人は、2400cから取り出したといっていた。こんなところに、2400cと3400cのつながりも生まれる。それにしても、より容量の多いもの、例えば10GのHDをに交換するというなら話はわかるが、なぜ、わざわざ少ないものに? あえて理由は書かないが、この作業で、3400cのHDに初めて触ることができた。先日は、ディスプレイの留め具を直すために液晶部分を分解した。それに続く、多少は大掛かり、いや、中掛かりくらいの分解作業である。思えば、トラブルにみまわれることもなく、何の疑問も抱かずに3400cを使ってきたのである。そのこと自体を幸せだと思うし、マシンにも恵まれていたと思う。ただ、HD装着後に組み立て、OS9.1をインストール。しかるべく後に再起動させた時、起動音が割れていたのには焦った。音声出力のケーブルか何かを傷つけたか!? 幸い、音楽CDは何ごともなく再生できたのでほっと胸をなでおろしたのであったが……。3400cとのつきあいは、まだ終わらない。トラブルは、いずれ発生するだろう。

2月26日
 起動不能の2400cをどのようにすればいいか考えている。つまり、生き返らせる算段。一つは、ロジックボードやCPUといったパーツを入手し、交換する。あるいは前日に書いたように、まともに動くが安いマシンを一台手に入れて、生きた部品を入れ換える。しかしどちらにせよ、手間がかかることには違いない。どこがいけなくて起動不能になったか、その究明にも時間がかかる。いっそアップルに修理を頼んではどうかと思い、サポートセンターに電話をかけた。しかし、これは不可能だった。結論としてわかったのは、手元にある起動不能品は修理できないということ。前の持ち主が、ハードディスクを取り外している。大事なデータが入っているのだから、これは当然だ。しかし、購入時のハードディスクがないと、アップルとしては預かれないというのである。この前の段階では、ロジックボードやCPUの交換にいくらかかるかという話をしており、はっきりとは答えられないが、10万円ほど、という答えを得ていた。安くはないが、アップルの修理を受けられるなら、修理保証がつくことだし、仕方がないかと思っていたところ。見積もりをしようということになり、マシンの詳細を訊ねられて、HDの有無が初めて問題になったのだ。これで、自力で復活作業をする以外、道はなくなった。
 例によって、秋葉原、新宿を放浪する。気持ちがもう、ふらふらしている。完全にとりつかれている。中古を扱っている店を、片っ端からのぞいて回る。2400cはあるが、どれも高い。5万円台は安すぎるだろう。しかし10万円台は高い。G3カードを装着していれば別だが。7万円台なら安いと思うが、これはない。9万円台なら仕方ないと思うが、これはない。従って8万円台。これが現状での理想だろう。しかし、ドット抜けがあったり、液晶に劣化が見られたり、クリックボタンの不良があったりと、やはり値段相応の状態になっているのである。難しい。完全に2400cに気を奪われて、仕事がまともに進まない。一方の3400cは、G3/333とEthernetで結ばれて、何ごともなく動いている。考えてみれば、3400cが初めて9.1で動いているのである。2400cのことばかり考えて、この大事な事実に気がつかなかった。慶賀、としよう。

2月27日
 今日はもしかしたら、記念すべき日になるかもしれない。何のことか詳しくは書けないが。心覚えに記しておく。後になって振り返り、ああ、あの日が転換点だったのだなと気がつく。結果的に、そのような思いを抱ければうれしい。私とて本で育った人間。抱く思いが本の形になればうれしい。つまり、PowerBookのこと、マックのこと。さらには、コンピュータを使って、何ごとかを書くということ。これがヒントだ。3400cを普通に使う会を運営していればこその結果が得られればいい。本決まりになれば明らかにすることを約束する。
 あいかわらず2400cにとらわれているが、その一方で、少しでも気持ちを整理するために、ThinkPad i Series1200を早稲田の仕事場に移す。これを仕事場のメインマシンにするためである。馴れぬWindowsでメールを受けたり送ったりしたものだから、いささか不安だ。しかし、とにかくこれで、原稿は書ける。ただ、それがマックではないということ。
 秋葉原を放浪する。もちろん2400cを求めて。現金などあるはずがない。カードを使って買うつもりだ。そのためにカード会社に電話をし、どのような使い方ができるのか確認した。ところが、あいかわらず高いか、不良品か、そのどちらかしかない。約8万円で英字キーボードの2400cがあったが、これはキートップに欠損があり、メモリは16MB、付属品はACアダプタのみ。見ると大小の傷がある。----やめた。他の店を回っても、何も変わらない。というか昨日今日の話だから状況など変わるわけがないのだ。万世橋と末広町駅の間を3往復ほどしたであろうか。だんだん気持ちが引いていく。いまさら2400cを買っても仕方ないじゃないか。何をしている。仕事に戻れと、心の声が呼びかけてくる。家にG3/333と3400c/200があり、仕事場には数多くのオールドマックがあり、ThinkPadも置いた。何の不足がある? 不足があるとすれば、心の不足。2400cを使ってみなければ、少なくとも日本のマック・シーン、PowerBookシーンでは何もいえないのでは? という不安。それに私は惑わされている。要するに他人の声に惑わされている。起動不能の2400cも、その気持ちを煽る。目の前に御馳走があるのに食べられないという、お預け状態。これを脱するには、やはり、何とかして……。そんな気持ちを抱いて、私は東京ラジオデパートの地下に降りていった。その時……。
 後は書けない。まだ、書けないのである。書ける日が来ればいいと思っている。


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